精選版 日本国語大辞典 「高津宮」の意味・読み・例文・類語
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「古事記」「日本書紀」に、仁徳天皇が難波に造営したと伝える宮。「古事記」仁徳天皇段に「大雀命、難波の高津宮に坐しまして、天の下治らしめしき」とあり、「日本書紀」仁徳天皇元年正月三日条に「大鷦鷯尊、即天皇位す。(中略)難波に都つくる。是を高津宮と謂す」とある。その所在地については江戸時代以来多くの説が出されている。明治以降に限っても、主には次のような諸説が提出されている。第一に「延喜式」神名帳の「宮中神卅六座」のなかにみえる「
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大阪市中央区高津に鎮座。仁徳(にんとく)天皇を主神とし、左に仲哀(ちゅうあい)天皇・応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后、右に葦姫(あしひめ)皇后・履中(りちゅう)天皇を祀(まつ)る。旧社地は仁徳天皇の皇居高津(たかつ)宮跡で、同地に鎮座の式内社比売許曽(ひめこそ)神社境内にいつしか創建された。964年(康保1)社殿改築より本社が主とされ、比売許曽社が境内社のようになり、1583年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉の大坂城築城にあたり現社地へ遷座。明治の制で府社。例祭7月18日。
[鎌田純一]
…現在の大阪市中央区法円坂町一帯を中心として所在した7世紀中葉から8世紀末に至る古代宮殿遺跡。上町台地を中心とする古代の難波の地には,古くは応神天皇の大隅(おおすみ)宮,仁徳天皇の高津宮,欽明天皇の祝津(はふりつ)宮などの宮室が置かれたと記紀は伝えている。645年(大化1)6月,飛鳥板蓋(いたぶき)宮における蘇我入鹿暗殺事件を発端としていわゆる大化改新が開始されるが,同年12月,孝徳天皇は都を飛鳥から難波長柄豊碕(ながらとよさき)に移した。…
※「高津宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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