高橋五郎(読み)たかはし・ごろう

朝日日本歴史人物事典 「高橋五郎」の解説

高橋五郎

没年:昭和10.9.7(1935)
生年:安政3.6(1856)
聖書翻訳家,著述家越後(新潟県)柏崎庄屋に生まれる。本名吾良。群馬郡高崎の竜門寺で仏教漢学を習う。明治8(1875)年横浜に行き植村正久の紹介でS.R.ブラウンに師事し,聖書の翻訳に参加する。『六合雑誌』『国民之友』に論文を多数執筆する。早稲田,立教などで英学を教える。井上哲次郎との「教育ト宗教ノ衝突」論争では,キリスト教教育を擁護する立場で論陣を張る。カトリック最初の日本語聖書『聖福音書』2巻(1895~97)の訳業にも寄与する。多彩な文才の持ち主であった。<参考文献>海老沢有道『日本の聖書』,鈴木範久『明治宗教思潮の研究』,杉井六郎「高橋五郎小論」(『「六合雑誌」の研究』)

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋五郎」の解説

高橋五郎 たかはし-ごろう

1856-1935 明治-昭和時代前期の評論家,英語学者,翻訳家。
安政3年6月生まれ。植村正久とまじわり,S.R.ブラウンに師事し,その「新約聖書邦訳の事業にくわわる。井上哲次郎のキリスト教排斥論に対し植村,大西祝(はじめ)らとともに反論した。昭和10年9月7日死去。80歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本名は吾良。号は在一居士。訳書に「プルタルク英雄伝」「カーライル仏国革命史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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