20世紀日本人名事典 「高橋 新吉」の解説
高橋 新吉
タカハシ シンキチ
- 生年
- 明治34(1901)年1月28日
- 没年
- 昭和62(1987)年6月5日
- 出生地
- 愛媛県西宇和郡伊方町
- 学歴〔年〕
- 八幡浜商〔大正7年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 芸術選奨文部大臣賞(第23回・文学・評論部門)〔昭和48年〕「定本高橋新吉詩集」,日本詩人クラブ賞(第15回)〔昭和57年〕「空洞」,歴程賞(第23回)〔昭和60年〕
- 経歴
- 若い頃から放浪生活を送るが、挫折して故郷に帰る。大正9年「万朝報」の懸賞短編小説に「焰をかかぐ」が入選。同年ダダイスム思想に強い衝撃を受け、「ダダ仏問答」「断言はダダイスト」などを発表。12年「ダダイスト新吉の詩」を刊行、ダダイスムの先駆者となる。13年小説「ダダ」を刊行。昭和3年頃から禅の道にも入り、9年詩集「戯言集」を発表以後は東洋精神や仏教への傾倒を深める。戦後も「歴程」や「日本未来派」同人として旺盛な創作活動を展開。「定本高橋新吉詩集」など多くの詩集のほか、「無門関解説」「道元」「禅に参ず」の研究書や、小説「ダガバジジンギヂ物語」、美術論集「すずめ」など、著作は広い分野にわたる。57年「高橋新吉全集」(全4巻・青土社)刊行。
高橋 新吉
タカハシ シンキチ
明治期の男爵 日本勧業銀行総裁;九州鉄道社長。
- 生年
- 天保14年10月(1843年)
- 没年
- 大正7(1918)年11月
- 出生地
- 薩摩国鹿児島城下(鹿児島県)
- 経歴
- 家は薩摩藩士。長崎に遊学して英学者何礼之の塾に学び、洋行費と学資を得るために前田献吉とその弟正名と共に英和辞書編纂に着手した。慶応2年の江戸開成所版「英和対訳袖珍辞書」を底本とし、フルベッキの援助を得、明治元年戊辰戦争前後に脱稿、2年「和訳英辞林」として上海の米国長老派教会美華書院の印刷で初版を発行、6年東京版を刊行した。この間3年米国に留学。4年帰国し、大蔵省租税寮に出仕、以後大蔵権少書記官、長崎税関長、長崎県権大書記官など財政の局に当り、20年九州鉄道創立と共に社長、31年日本勧業銀行総裁に就任。また30年より貴族院勅選議員、大正7年男爵となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報