日本大百科全書(ニッポニカ) 「高松宮宣仁」の意味・わかりやすい解説
高松宮宣仁
たかまつのみやのぶひと
(1905―1987)
皇族。大正天皇第三皇子。光宮(てるのみや)と称したが、1913年(大正2)高松宮の号を受け有栖川(ありすがわ)宮の祭祀(さいし)を継いだ。24年海軍兵学校卒業。30年(昭和5)徳川慶久(よしひさ)の次女喜久子(きくこ)と結婚、その後1年余のヨーロッパ訪問をする。海軍大学校卒業後、軍令部畑を歩き、42年大佐となる。太平洋戦争末期、国体護持による和平工作に尽力、細川護貞(もりさだ)(元第二次近衛(このえ)内閣首相秘書官)の収集した情報を天皇に伝える役割を果たした。細川の『情報天皇に達せず』(のち『細川日記』と改題)はその間の事情を記したものである。戦後は皇室会議議員、国際文化振興会総裁などを務める。
[小田部雄次]