高木新平(読み)たかぎしんぺい

世界大百科事典(旧版)内の高木新平の言及

【活劇映画】より

…20年代に入って,ダグラス・フェアバンクス主演《奇傑ゾロ》(1920),《三銃士》(1921),《ロビン・フッド》(1922)がさらに決定的に活劇熱をあおり,模倣作品を続出させた。 当時の活劇スターとして,尾上松之助に次いで,島津保次郎監督《堅き握手》(1922)や牛原虚彦監督《狼の群》(1923)などの勝見庸太郎,日本版《奇傑ゾロ》といえる《抜討権八神出鬼没》(1924)などの市川百々之助,同じく《奇傑ゾロ》の模倣作《怪傑鷹》や《争闘》(ともに1924)で〈鳥人〉の異名をとった高木新平がいる。こうして23年から24年ころにかけて,活劇という映画形式は定着した。…

【日本映画】より

…阪妻プロは新たに千葉県谷津海岸に新スタジオを建てた(1931)が,35年に解散し,撮影所は一時,新興キネマに使用された。 1927年には高木新平プロダクションが設立され,京都吉田山下に新スタジオを建てたが,まもなく解散した。 同じ1927年,市川右太衛門プロダクションが設立され,奈良あやめ池遊園地に撮影所を建設,映画製作を始めたが,36年に解散した。…

※「高木新平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」