高木憲次(読み)たかぎ けんじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木憲次」の解説

高木憲次 たかぎ-けんじ

1889-1963 大正-昭和時代の整形外科学者。
明治22年2月9日生まれ。大正13年母校東京帝大の教授となり,のち日本医大教授。日本整形外科学会長。身体障害者社会復帰関心をもち,昭和17年日本最初の療育施設整肢療護園をひらき,戦後は日本肢体不自由児協会初代会長などをつとめた。昭和38年4月15日死去。74歳。東京出身。編著に「形態異常の治療成否」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高木憲次の言及

【岩橋武夫】より

…その間2度の渡米により,ヘレン・ケラーと親交を結び,ヘレン・ケラー日本招待に尽力した。第2次大戦後,身体障害者福祉法成立以前の被占領期にあっては,連合国最高司令官総司令部の障害者政策の基盤づくりに高木憲次(1889‐1963)らとともに協力した。大阪盲人協会会長を務め,日本盲人会連合,日本盲人福祉協議会の結成に尽力,中央身体障害者福祉審議会,世界盲人福祉協議会の委員としても指導的地位に立って幾多の業績を残した。…

※「高木憲次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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