高木仙右衛門(読み)たかぎ・せんえもん

朝日日本歴史人物事典 「高木仙右衛門」の解説

高木仙右衛門

没年:明治32.4.13(1899)
生年:文政7.2.12(1824.3.12)
幕末期の潜伏キリシタンの中心人物。聖名ドミニコ。長崎浦上の水方補佐。自宅を秘密聖堂(聖ヨゼフ堂)として開放,慶応3(1867)年にカトリック葬式を行い,仏葬拒否の埋葬事件として逮捕されるが勇敢に抗弁,信徒の要となった。また潜伏キリシタンに対する弾圧事件の「浦上四番崩れ」(同年~明治6年)では,ただひとり棄教せず,明治1(1868)年には新政府によって津和野藩へ主要信徒とその家族と共に流刑された。寒地で残虐非道の拷問に耐え抜きここでも仲間を激励,迫害下病身で信仰を貫く。同6年の釈放後は浦上に戻り,自宅を赤痢療養所や孤児院とし,教導,福祉に献身した。彼が綴った『仙右衛門覚書』は貴重な史料である。<参考文献>浦川和三郎『浦上切支丹史』,池田敏雄『キリシタンの精鋭』

(大江満)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高木仙右衛門」の意味・わかりやすい解説

高木仙右衛門
たかぎせんえもん

[生]文政6(1823).2.12. 長崎,浦上
[没]1899.4.13. 長崎,浦上
長崎市浦上のキリシタン (カトリック) 信徒の指導者。長崎代官高木家の子孫で,江戸時代の迫害期にも信仰を守り伝え,代々信徒の洗礼を司る水方 (みずかた) をつとめた。慶応1 (1865) 年の信徒発見後,仙右衛門はフランス人司祭を助け,伝道士となって活躍したが,新政府による新たな迫害 (浦上四番崩れ) により,信徒多数とともに津和野に配流された。 1873年釈放されて帰郷。この間,迫害に屈せず,信徒を励まし,その精神的支えとなった。また,お告げのマリア修道会 (旧称,聖婢修道会) の創設にあたるなど,長崎カトリック教会の発展に寄与した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木仙右衛門」の解説

高木仙右衛門 たかぎ-せんえもん

1824-1899 江戸後期-明治時代のキリシタン。
文政7年2月12日生まれ。肥前長崎の人。慶応元年浦上の潜伏キリシタン発見以来伝道士として布教につとめる。4年中心的な信徒114名が流刑となった際(浦上四番崩れ),津和野に流されたが,明治6年帰郷をゆるされ,のち孤児救済などの福祉事業につくした。明治32年4月13日死去。76歳。

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