高島米峰(読み)タカシマベイホウ

デジタル大辞泉 「高島米峰」の意味・読み・例文・類語

たかしま‐べいほう【高島米峰】

[1875~1949]宗教家評論家新潟の生まれ。仏教清徒同志会(のちの新仏教同志会)を組織、仏教界の革新に努め、また廃娼運動などにも活躍。のち東洋大学学長。著「般若心経講話」「一休和尚伝」など。

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精選版 日本国語大辞典 「高島米峰」の意味・読み・例文・類語

たかしま‐べいほう【高島米峰】

評論家。新潟県出身。新仏教主義を唱え、廃娼禁酒、貧民救済などの運動に献身した。晩年、東洋大学学長に就任。明治八~昭和二四年(一八七五‐一九四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高島米峰」の意味・わかりやすい解説

高島米峰
たかしまべいほう
(1875―1949)

明治・大正時代の仏教運動家。新潟県中頸城(なかくびき)郡吉川(よしかわ)町(現、上越(じょうえつ)市)の浄土真宗本願寺派真照寺に生まれる。幼名は大円、1919年(大正8)に米峰と改名。京都西本願寺普通教校、東京の哲学館(後の東洋大学)教育学部に学ぶ。井上円了助手、金沢の『北国新聞』記者、東京の京華(けいか)中学教師を経て、境野黄洋(さかいのこうよう)(1871―1933)らとともに1894年(明治27)に設立された経緯会(けいいかい)に加入、雑誌『仏教』を中心として既成教団の腐敗を攻撃した。のち経緯会を脱退し、1899年新たに仏教清徒同志会(後の新仏教同志会)を結成、1900年(明治33)には機関誌『新仏教』を発刊して僧侶(そうりょ)不必要論、読経(どきょう)無用論を唱え、仏教界の革新浄化に努めた。また廃娼(はいしょう)運動などの社会改革にも尽力し、幸徳秋水(こうとくしゅうすい)、堺利彦(さかいとしひこ)らの平民社とも交わる一方、出版社をおこして仏教・哲学書を出版、講演や著述、評論にも活躍した。昭和24年10月25日示寂(じじゃく)。

[金田諦応]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高島米峰」の解説

高島米峰 たかしま-べいほう

1875-1949 明治-昭和時代の仏教運動家。
明治8年1月15日生まれ。生家は浄土真宗本願寺派真照寺。新聞記者,中学教師などをへて明治32年境野黄洋らと仏教清徒同志会(のちの新仏教徒同志会)を結成,「新仏教」を発刊。禁酒禁煙・廃娼(はいしょう)運動などにつくした。昭和18年東洋大学長。昭和24年10月25日死去。75歳。新潟県出身。哲学館(現東洋大)卒。号は玉虬。著作に「般若心経講話」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高島米峰」の意味・わかりやすい解説

高島米峰
たかしまべいほう

[生]1875.1.15. 新潟
[没]1949.10.25. 東京
新仏教運動を唱えた評論家,社会教育家。仏教図書の出版を行い,著書 60冊余。晩年に東洋大学学長となる。

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