高島炭鉱暴動(読み)たかしまたんこうぼうどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高島炭鉱暴動」の意味・わかりやすい解説

高島炭鉱暴動
たかしまたんこうぼうどう

長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡高島町(現、長崎市高島町)にあった高島炭鉱では、明治期に17件の争議が発生している。一連の争議はほとんどみな暴動化したが、ことに1883年(明治16)9月のものは、7人の即死者が出るほど激しかった。高島炭鉱は、官営時代には囚人労働力を使用、1881年に岩崎弥太郎(やたろう)が買収してからは、「納屋(なや)制度(飯場(はんば)制度)」が広がって、人身的な隷属のもとで鉱夫に劣悪な労働条件を強いていた。これが一連の暴動の根本原因で、三宅雪嶺(みやけせつれい)が発刊した雑誌『日本人』が、88年に高島炭鉱の坑夫虐待問題でキャンペーンを張ると、それはたちまち世間の注目を浴び、一大社会問題となった。ことの重大さに政府も警保局長を現地に派遣して実情を調査させた。その結果、鉱夫への暴力的拘禁の事実が明らかになり、以後一定の是正措置が図られた。

[三宅明正]

『隅谷三喜男著『日本賃労働史論』(1955・東京大学出版会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高島炭鉱暴動の言及

【足尾鉱山暴動】より

…1907年(明治40)2月に足尾銅山で起こった鉱夫の暴動。足尾銅山暴動ということが多い。きっかけは,同月4日の通洞坑内見張所における採鉱夫と現場係員の衝突であったが,これは飯場頭の挑発の疑いが濃い。当時,足尾では永岡鶴蔵,南助松らの大日本労働至誠会足尾支部(1906年10月結成)が賃上げ運動を組織し,また友子(ともこ)同盟と結んで飯場頭の中間搾取を制限する活動を展開していた。飯場頭らは至誠会をつぶすために部下の鉱夫を買収し騒動を起こさせた。…

※「高島炭鉱暴動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android