20世紀日本人名事典 「高峰 譲吉」の解説
高峰 譲吉
タカミネ ジョウキチ
明治・大正期の化学者 三共(株)初代社長。
- 国籍
- アメリカ
- 生年
- 嘉永7年11月3日(1854年)
- 没年
- 大正11(1922)年7月22日
- 出生地
- 越中国高岡(富山県高岡市)
- 学歴〔年〕
- 工部大学校(現・東京大学工学部)応用化学科〔明治12年〕卒
- 学位〔年〕
- 薬学博士,工学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 帝国学士院賞(第2回)〔大正1年〕
- 経歴
- 金沢藩典医・高峰精一の長男。11歳で長崎に留学し、オランダ語・英語を、のち京都、大阪で医学・化学を学ぶ。維新後上京して明治5年工学寮(のち工部大学校)に入学。13年英国に留学、グラスゴー大学に学び、16年帰国。農商務省御用係として和紙、製藍、清酒醸造の研究に従い、19年特許局次長。同年渋沢栄一らと東京人造肥料会社を設立した。23年渡米、パークデヴィス社顧問となる。25年強力消化剤“タカジアスターゼ”の創製に成功(27年特許)、33年には副腎の有効成分“アドレナリン”の結晶化に成功、これらの業績により大正元年学士院賞を受賞した。2年帰国し、理化学研究所の前身といえる国民科学研究所、三共株式会社などを設立した。妻カロラインはアメリカ人で、のち自身もアメリカに帰化しニューヨークで没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報