騎馬民族説(読み)きばみんぞくせつ

百科事典マイペディア 「騎馬民族説」の意味・わかりやすい解説

騎馬民族説【きばみんぞくせつ】

日本の統一国家の建設者をアジア大陸から渡来した北東アジア系の騎馬民族とする。1948年考古学者江上波夫が発表したもので,4世紀初めに天皇氏を中心とする騎馬民族の一派朝鮮半島を経て九州に侵入,4世紀末か5世紀初めに畿内に強大な王権を確立したという。前期古墳文化と後期古墳文化は根本的に異質な文化であること,後期古墳文化に騎馬民族的性格が濃厚であることなどのほか,《旧唐書(くとうじょ)》東夷伝などの文献論拠にあげているが,反対説も多い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「騎馬民族説」の解説

騎馬民族説
きばみんぞくせつ

古墳時代に大陸の騎馬民族が海を渡り,わが国を征服したという学説
古墳文化が前期と中期以後とでは馬の埴輪馬具出土など質的に変化することなどから,1949年東大教授江上波夫によって説かれ,戦後の日本史学界に論争を巻きおこした。騎馬民族の文化的影響は確かに考えられるが,古墳文化の連続性など,考古学的には疑問が多い。

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精選版 日本国語大辞典 「騎馬民族説」の意味・読み・例文・類語

きばみんぞく‐せつ【騎馬民族説】

〘名〙 四~五世紀頃、アジア北東部の騎馬民族が朝鮮半島から日本に到来して北部九州・畿内を征服し、大和政権を樹立したとする説。昭和二三年(一九四八)江上波夫が提唱

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デジタル大辞泉 「騎馬民族説」の意味・読み・例文・類語

きばみんぞく‐せつ【騎馬民族説】

4~5世紀ごろ、アジア北東部の騎馬民族が朝鮮半島から日本に到来して北部九州・畿内を征服し、大和政権を樹立したとする説。昭和23年(1948)江上波夫が提唱。

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世界大百科事典内の騎馬民族説の言及

【ウマ(馬)】より

…奇蹄目ウマ科ウマ属の哺乳類。現世のものはウマ科ウマ属しかない。ウマ属には,ウマ亜属(プシバルスキーウマ,家畜のウマおよび絶滅したターパン),アジアノロバ亜属(オナジャー,キャン),グレビーシマウマ亜属(グレビーシマウマ),シマウマ亜属(サバンナシマウマ,ヤマシマウマ,絶滅したクアッガ)と,それらと古く分かれたロバ亜属(アフリカノロバと家畜のロバ)がある。北アメリカ起源であるが,現代では野生種はアジア,アフリカにだけ分布する。…

【王朝交替論】より

…かつて津田左右吉が,《古事記》《日本書紀》には,仲哀天皇と応神天皇の間で一つの段落があり,仲哀以前は天皇の系譜が父子相承となっていたり,天皇の称号だけで諱(いみな)を欠いているなど,実在性に乏しく,6世紀の帝紀(ていき)に記されていたのは,応神より後の天皇であろうとしたことにはじまる。その後,林屋友次郎によって,〈応神新王朝論〉が説かれ,応神以前の天皇は存在しないとされ,水野祐は,仲哀以前を〈古王朝〉,応神以後を〈中王朝〉とし,邪馬台国と戦った狗奴国が東遷して,この〈中王朝〉を形成したと考え,いわば江上波夫が,大和の王朝を騎馬民族の征服によって生まれたとした騎馬民族説をさらに進め,〈ネオ騎馬民族説〉とでもいうべきものを主張した。他方で,〈古王朝〉は大和三輪にあり,〈中王朝〉は河内に成立し,河内王朝が三輪王朝を征服したという説もあらわれた。…

※「騎馬民族説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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