駒形神社(読み)こまがたじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「駒形神社」の意味・読み・例文・類語

こまがた‐じんじゃ【駒形神社】

岩手県水沢市にある神社。旧国幣小社。祭神は宇迦能御魂大神(うかのみたまのおおかみ)大宜津比売神(おおげつひめのかみ)ほか二柱。日本武尊(やまとたけるのみこと)の創建とも、坂上田村麻呂の創祀ともいう。陸中国一の宮。

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デジタル大辞泉 「駒形神社」の意味・読み・例文・類語

こまがた‐じんじゃ【駒形神社】

岩手県奥州市にある神社。祭神は駒形大神で、神馬とも馬頭観音ともいうが不詳。陸中国一の宮

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日本歴史地名大系 「駒形神社」の解説

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]水沢市中上野町

水沢公園の西方の丘に摂社塩竈しおがま神社とともに鎮座し、奥宮は駒ヶ岳山上に祀られている(胆沢郡の→駒ヶ岳。大日命・天之常立命・国狭土命・吾勝命・置瀬命・彦火火出見命の六神を祀り、旧国幣小社。現在の社地・社殿は元来塩竈神社のものであったが、明治四年(一八七一)駒ヶ岳山上の駒形神社が国幣小社に昇格、翌年一一月塩竈神社社殿を駒形神社の仮遥拝所としたため、塩竈神社は摂社春日神社に仮に奉遷した。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]那珂町南酒出

南酒出みなみさかいでの北西端の字宮の台みやのだいに鎮座し、森に囲まれる。祭神は保食命。旧村社。縁起では源義家が陸奥出兵のとき当社に行路安全と武運を祈願し、寛治二年(一〇八八)帰路社殿を造営し田地を寄進、永禄七年(一五六四)には酒出義忠が一〇貫文の地を寄進したという。元禄年間(一六八八―一七〇四)徳川光圀の命で社僧を除いて唯一神道に改めた(茨城県神社誌)

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]佐久市下塚原

中山道が下塚原しもつかばらから塩名田しおなだ宿(現北佐久郡浅科村)に下る段丘中腹にある。祭神は宇気母智命。創建は明らかでないが、牧に関係した神社とされており、御牧原みまきがはら(現小諸市、北佐久郡浅科村・望月町・北御牧村)を中心とした望月もちづき牧の守護神として東に当社、北に下河原しもがわら(現小諸市)駒形社、西に藤沢ふじさわ(現北佐久郡立科たてしな町)駒形社、南に牧布施まきぶせ(現北佐久郡望月町)駒形社が立てられたとも伝えられる(中佐都村志)

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]久慈市侍浜町 北野

祭神は駒形神。「お蒼前さま」とよばれいる。慶安四年(一六五一)、盛岡藩三代藩主南部重直は巡国の際に廃牧となっていた北野において、疾風のごとく駆けてくる二頭の野馬を見、北野再興の吉兆として当社を建立したと伝える。社の建築および修繕料は南部家から支出され、五月一九日の例祭日には侍浜さむらいはま村はいうに及ばず鳥谷とや村・閉伊口へいのくち村、久慈八日ようか町・三日みつか町などより詣でるものが多かったという(九戸郡誌)。また同年どこからともなく野馬母駄二疋が現れたため別当三光院が湯立を行い、「観音堂」「そうせん堂」建立のため神木の小杉一本を切ったとされ(久慈文書)、貞享二年(一六八五)の盛岡藩・八戸藩境塚絵図(八戸市立図書館蔵)には「そうせん堂」と「天神堂」がみえる。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]滝沢村鵜飼 外久保

鬼越おにこり(標高三二五メートル)の南東に位置し、祭神宇気持命、旧村社。当社は初め鬼越坂付近に祀られ、鬼越蒼前おにこりそうぜんとよばれたが、明治三年(一八七〇)改称、同四四年現在地へ移転(滝沢村誌)。「御領分社堂」に「鬼古里嶽蒼前」とみえる。慶長二年(一五九七)鳥谷源右衛門なる者が、陸奥三戸より駒二疋を引いてこの地に至ったとき「我は是れ駒ケ岳に住する蒼前なり、自今此鬼古里に鎮座して天ケ下の牛馬の災難を除き諸願成就守護すべし」との託宣により勧請とある(岩手郡誌)

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]盛岡市西仙北一丁目

青物あおもの町の西端にあり、祭神は保食神。旧村社で、「盛岡砂子」に御駒堂とみえ、別当は加藤京助とある。馬の守護神として信仰された。元文城下図にはしん小路の西に社殿と鳥居が描かれ、幕末の城下図(葛西氏旧蔵)では当社の東に七軒しちげん丁と記される。内史略本「盛岡砂子」に「此丁昔家数七軒有し故斯云と也、今の大神楽師を七軒丁と云は、此所に居れは也、此頭取は御駒太夫加藤京助と云、其先祖は甲斐国より光行(南部)公御下向の時、御馬の口取にて、御供して来りし故に、御駒太夫の名有、此故に御国中小芝居以下の見せもの等の支配を被命と云」とある。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]御前崎町御前崎 下岬

岬の突端付近、下岬したみさきにある。祭神は彦火火出見尊・豊玉姫尊・玉依姫尊。旧村社。創建は安閑天皇の頃という。祭神は天竺から蒼海原を渡って紀州熊野浦に至り、同浦から船で御崎みさき浦沖に到着、船から九九疋の駒に乗って上陸しようとした時、海亀が現れて駒を導こうとしたが、駒が海中に引込まれて御前ごぜん岩となったため、海亀に乗って上陸したと伝える。豊臣秀吉小田原征討に際しては軍器の海上輸送の危難を救ったという(天保一〇年「遍照院観音堂修復募縁帳」磐本文書)

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]宮古市津軽石 藤畑

津軽石つがるいし川の南岸、字藤畑ふじばたけの背後にある緩やかな段丘の端に鎮座。経津主命・大山祇命・武甕槌命の三柱を祀る。社伝によれば閉伊頼基の妻音羽姫の愛馬「奥州黒」を祀った所という。津軽石川中流、豊間根とよまねつなぎ(現下閉伊郡山田町)から藤畑にかけての一帯は、かつて閉伊氏の一族赤前氏が牧野としたところで、その鎮守として祀られていたものであろう。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]玉山村芋田

国道四号の東方に位置し、祭神保食神、旧村社。古くは蒼前大明神・馬頭観世音と称したが、明治三年(一八七〇)現社名に改称。元文五年(一七四〇)の沼宮内通絵図(佐藤家蔵)によれば、奥州街道の東側に「そうせん堂」とみえる。幕末の「北奥路程記」には馬頭観音とある。天保四年(一八三三)の芋田村叢前馬頭観音之記(沼田文書)によれば、永承五年(一〇五〇)源義家が観音を安置したというが不詳。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]東和町上小山田

北川目きたかわめ集落に鎮座。祭神は保食大神・大山祇神素戔嗚尊。祭日は九月一一日。旧村社。お駒さんと通称され参詣者が多い。社伝によれば、前九年の役で安倍頼時・貞任の反乱を鎮めようと源義家が康平五年(一〇六二)小山田おやまだで交戦したが、義家の乗馬が疲れ病臥した。

駒形神社
こまがたじんじや

[現在地名]鎌倉市寺分

寺分の大慶てらぶんのたいけい寺東方の山頂にある。祭神は駒形大神。旧村社、寺分の氏神社。例祭一〇月一日。勧請年月未詳。「風土記稿」には東光とうこう寺持ちとあり、本殿・拝殿には天保一四年(一八四三)の棟札がある。社伝によれば治承年中(一一七七―八一)大庭景親が領し、天候不順の時には代参に祈願させたというところから、農業守護神として崇められ、大正初期まで正月に初穂を串に挟み神前に献ずる行事があった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「駒形神社」の意味・わかりやすい解説

駒形神社
こまがたじんじゃ

岩手県奥州(おうしゅう)市水沢(みずさわ)区中上野町に鎮座。宇迦能御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、大宜津比売神(おおげつひめのかみ)、大市比売神(おおいちひめのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)を祀(まつ)る。創建年代不詳であるが、一説に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の蝦夷(えぞ)征討に際し霊異があったと伝えられる。851年(仁寿1)正五位下を授けられ、862年(貞観4)従(じゅ)四位下に上る。延喜(えんぎ)式内社。藩政時代には南部藩、伊達(だて)藩の尊崇を受けた。古来、駒ヶ岳山頂に奥宮があり、里宮は山麓(さんろく)の雛子(ひなこ)沢にあったが、登拝不便のため1871年(明治4)国幣小社に列したとき、現社地にあった塩竈(しおがま)神社を仮遙拝(かりようはい)所とした。1903年(明治36)神霊を山頂より遷座し本社と定めた。例祭9月19日。馬の守護神として農民の信仰が厚い。

[高橋美由紀]

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改訂新版 世界大百科事典 「駒形神社」の意味・わかりやすい解説

駒形神社 (こまがたじんじゃ)

岩手県奥州市の旧水沢市に鎮座。駒形神をまつる。古くは駒ヶ岳山上にまつられ,862年(貞観4)従四位下,延喜式内社で陸中の一宮。山上(本宮)は国境でもあり,近世には南部,仙台藩で20年ごとに社殿を改造,山麓にそれぞれ里宮を設けていたが,1871年国幣小社にするとともに,現在地に遥拝所を設け,さらに1903年それを本社,山上を奥宮とした。例祭9月19日。
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百科事典マイペディア 「駒形神社」の意味・わかりやすい解説

駒形神社【こまがたじんじゃ】

岩手県奥州市水沢区中上野町に鎮座。旧国幣小社。駒形神をまつる。駒ヶ岳山上に奥宮,麓に里宮がある。農耕・牧馬の神として各地に分祀が多い。延喜式内社とされ,陸中の一宮と称す。例祭は5月3日。翌4日神輿渡御祭があり,武者行列,鹿踊(ししおどり),剣舞(けんばい)が行われる。

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事典・日本の観光資源 「駒形神社」の解説

駒形神社

(長野県佐久市)
信州の神社百選」指定の観光名所。

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デジタル大辞泉プラス 「駒形神社」の解説

駒形神社〔岩手県〕

岩手県奥州市にある神社。創建年不詳だが、5世紀後半と伝わる。駒ヶ岳山上に奥の院がある。陸中国一之宮。

駒形神社〔長野県〕

長野県佐久市にある神社。室町時代後期に建てられた本殿は国の重要文化財に指定されている。

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世界大百科事典(旧版)内の駒形神社の言及

【ウマ(馬)】より

…すなわち馬は神々の乗物という素朴な信仰の表現である。飼馬が倒れると馬頭観音,あるいは蒼前(そうぜん)様(東北地方の馬の守護神)として祭り,またその安全を駒形神社などに祈願する信仰も,古来,馬の飼養が普及していた東日本に顕著な現象であった。したがって,その肉を食べることも古くは忌避されており,明治以後に廃馬を処理する方法の一端として始まって食習となったといえる。…

※「駒形神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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