駅家(読み)えきか

精選版 日本国語大辞典 「駅家」の意味・読み・例文・類語

えき‐か【駅家】

〘名〙 古代の駅制で、人馬の継ぎ立てをし、駅使に宿舎、食料を提供した設備諸道に三〇里(約一六キロメートル)ごとに設け、駅舎駅馬を備え、駅戸駅田を持ち、駅長(えきおさ)がこれらを管理した。駅亭。駅館。うまや。やか。
※続日本後紀‐承和八年(841)閏九月庚戌「以河内国丹比郡駅家院倉八宇屋二宇。遷建当郡日根野。為正倉

や‐け【駅家】

〘名〙 令制で、幹線道路に設けられた駅。馬を準備し宿泊の設備もある。うまや。えきか。やか。
名目鈔(1457頃)諸公事言説「駅家(ヤケ)

や‐か【駅家】

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デジタル大辞泉 「駅家」の意味・読み・例文・類語

えき‐か【駅家】

律令制で、人馬を用意し、駅使に宿舎・食糧を提供した施設。駅館。駅舎。駅亭。

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改訂新版 世界大百科事典 「駅家」の意味・わかりやすい解説

駅家 (うまや)

日本古代の駅伝制の駅の主要施設。駅馬の中継所。駅家の家は,郡司の住む郡家(ぐうけ)の家と同じく,私宅を兼ねた役場の意。文献によれば,築地にかこまれた駅院が駅馬の通る路に面して駅門をひらき,院内には駅馬の厩舎や水飲場をはじめ,駅長らのいる事務室,駅馬を使う官人やその馬丁を勤める駅子(えきし)の休息・飲食・宿泊のための建物,馬具・蒭(まぐさ)・駅稲(えきとう)・酒・塩などを納める倉庫などのあったことが想定できるが,それらは村落の有力者である駅長の私宅部分と区別しがたく,考古学的には駅家の遺跡がまだ明白でない。また駅家は都や国府から次の国府までの駅路という交通の要路にそい,原則として30里(約16km)ごとに設置され,その周囲には駅の諸業務に従事する駅戸を出す村落が必要なので,郡家と同じ地区にあるばあいも少なくない。なお駅家は兵部省の管轄下にあり,10世紀初頭の《延喜式》には全国で402の駅名があげられている。
駅伝制
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駅家 (えきか)

駅家(うまや)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「駅家」の意味・わかりやすい解説

駅家
うまや

令制において,国司の管轄に属し,駅馬をおいて,駅使の往来,駅鈴をもつ官人の乗用に供し,その宿所と食糧を提供する施設。大化改新によって初めて設置され,大宝令にいたって整備された。諸道におよそ 30里 (→ ) ごとに設けられ,駅長,駅子があり,駅戸の民をもってこれにあてた。駅家の財源は駅田で,そこから得た稲を駅稲という。駅戸は駅家に属する戸で,駅路の大小により差があり,駅田の耕作,駅馬の飼養などの駅務に従い,駅長は調,庸,雑徭を免じられ,駅子は雑徭を免じられ,特殊な駅家では調,庸も免じられた。しかし,公戸に比べて負担が重く,逃亡するものが多かった。

駅家
えきや

広島県南東部,福山市北部の地区。旧町名。 1975年福山市に編入。芦田川中流域の平野を中心に,北は吉備高原に及び,古代,山陽道の宿駅がおかれた。平野は米を主体とした穀倉地域。北部の服部 (はっとり) は,蛇円山 (546m) のふもとに開ける農村で,絣など織物工業が行われる。西部に住宅団地ができ,都市化が進んでいる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「駅家」の解説

駅家
えきか

「うまや・はゆまうまや」とも。古代駅制の駅路に設けられた施設,また駅務に従事する駅戸から構成される組織。30里(約16km)ごとに設置され,一定数の駅馬がおかれた。「延喜式」の駅数は全国402カ所。駅使(えきし)は駅馬で次の駅へ送られるほか,駅で食料を供給され,休息や宿泊もできた。駅の施設は一般に周囲が区画され,門があり複数の屋と倉で構成されていた。山陽道の駅家は瓦葺,朱塗,白壁だった。財源にははじめ駅(起)稲(えきとう)・駅(起)田が設定されたが,のち正税があてられた。駅の管理・運営は国司の管下に駅戸から任じられた駅長があたった。駅家は郷と同じ編戸集団でもあり,「和名抄」には駅家郷,駅名と同名の郷として一郷をなす例も全国にみえ,駅長は郷長と同じ任務も負っていた。

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百科事典マイペディア 「駅家」の意味・わかりやすい解説

駅家【えきや】

広島県南東部,芦品(あじな)郡の旧町。芦田川中流域の盆地と周辺の丘陵地を占める。主集落駅家はかつて備中(びっちゅう)・備後(びんご)両国府間の山陽道の宿駅で,福塩線が通じる。農業を主とするが,織物業も盛んで,万能倉に織物工場がある。1975年福山市に編入。

駅家【うまや】

駅・駅家

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旺文社日本史事典 三訂版 「駅家」の解説

駅家
えきか

律令制下,諸道30里(約16㎞)ごとに置かれた施設
「うまや」とも読む。人馬の継立 (つぎたて) や宿・食糧の供給にあたった。

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世界大百科事典(旧版)内の駅家の言及

【駅家】より

駅馬の中継所。駅家の家は,郡司の住む郡家(ぐうけ)の家と同じく,私宅を兼ねた役場の意。文献によれば,築地にかこまれた駅院が駅馬の通る路に面して駅門をひらき,院内には駅馬の厩舎や水飲場をはじめ,駅長らのいる事務室,駅馬を使う官人やその馬丁を勤める駅子(えきし)の休息・飲食・宿泊のための建物,馬具・蒭(まぐさ)・駅稲(えきとう)・酒・塩などを納める倉庫などのあったことが想定できるが,それらは村落の有力者である駅長の私宅部分と区別しがたく,考古学的には駅家の遺跡がまだ明白でない。…

【駅伝制】より

…大化改新後,7世紀後半の律令国家形成期には,駅鈴によって駅馬を利用しうる道を北九州との間だけでなく東国へも延ばしはじめたようであるが,8世紀初頭の大宝令では唐を模範とした駅制を全国に拡大することとした。すなわち朝廷は特別会計の駅起稲(えききとう)・駅起田(えききでん)(後の養老令では駅稲・駅田)を各国に設置させ,これを財源として畿内の都から放射状に各国の国府を連絡する東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7道をそのまま駅路とし,駅路には原則として30里(約16km)ごとに駅を置かせ,駅ごとに常備すべき駅馬は大路の山陽道で20匹,中路の東海・東山両道で10匹,他の4道の小路では5匹ずつとし,駅の周囲には駅長や駅丁を出す駅戸を指定して駅馬を飼わせ,駅家(うまや)には人馬の食料や休憩・宿泊の施設を整え,駅鈴を貸与されて出張する官人や公文書を伝送する駅使が駅家に到着すれば,乗りつぎの駅馬や案内の駅子を提供させることとした。その結果,もっとも速い飛駅(ひえき∥ひやく)という駅使は,大宰府から4~5日,蝦夷に備えた陸奥の多賀城からでも7~8日で都に到着することができた。…

※「駅家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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