馬借(読み)ばしゃく

精選版 日本国語大辞典 「馬借」の意味・読み・例文・類語

ば‐しゃく【馬借】

〘名〙
① 中世・近世の運送業者。馬の背に荷駄をのせて駄賃を稼ぎ、物資を輸送した。鎌倉末ごろから広くその活躍が知られる。近江の大津・坂本、越前の敦賀、若狭の小浜、山城の淀・山崎・木津などの交通要所に集住し、京都・奈良へ物資を運送する仕事に従事した。また、室町中期には運送業だけではなく商人的性格をもつようになった。多くは問屋などの統制下にあったが、在地の情勢に詳しく集団的行動力を持っていた彼らは、しばしば土一揆に加わった。
新猿楽記(1061‐65頃)「願馬借車借之妻件夫〈略〉東馳大津三津、西走淀渡山崎
② ①が起こす一揆。また転じて、一揆・反乱など治安が乱れることをさしていう。
大乗院寺社雑事記‐長享二年(1488)八月一五日「京都は馬借沙汰在之云々、且如何」
浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)上「今は近江の石部の馬借に奉公しまする」

うま‐かし【馬借】

〘名〙 中世の交通労働者。荷物を馬で運んで、その手間賃を取る人。ばしゃく。〔新猿楽記(1061‐65頃)〕

ま‐がし【馬借】

〘名〙 =ばしゃく(馬借)〔運歩色葉(1548)〕

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デジタル大辞泉 「馬借」の意味・読み・例文・類語

ば‐しゃく【馬借】

中世、馬上に荷を乗せて運んだ運送業者。主に畿内とその周辺に発達。近江おうみの大津・坂本、山城の木津などが有名。しばしば土一揆の主体となった。
馬借一揆」の略。
「京都は―の沙汰これ在り」〈大乗院寺社雑事記〉

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改訂新版 世界大百科事典 「馬借」の意味・わかりやすい解説

馬借 (ばしゃく)

中世・近世の運送業者。馬の背に荷駄をのせて運送し,駄賃を稼いだ。11世紀半ばに成立をみた《新猿楽記》に馬借,車借とでてくるのが初見史料であろう。鎌倉時代中ごろから,その活躍をあとづけることができるが,越前の敦賀,若狭の小浜,近江の大津・坂本・草津,山城の淀・山崎・木津・伏見・横大路・鳥羽,大和の生駒・鳥見・八木・布留郷などが馬借の集住地として有名である。これらの多くは外港の地であり,水運されてきた物資を京都や奈良に運送するのを主たる仕事とした。しかし,1418年(応永25)に年貢米の売却と関について大津の馬借数千人が強訴した事件や,26年近江の米価下落を原因とする坂本馬借の京都乱入事件に見られるように,運送業だけではなく,米商人としての性格を持つものもあった。また,永正年間(1504-21)の越前では朝倉氏の保護の下に塩・榑(くれ)などの独占的な販売権を持っていた。馬借は問屋の下に組織されていたが,中世では専業者だけではなく,周辺の農民が農閑期に運送に従事する場合もあった。馬借の駄賃は,1270年(文永7)の延暦寺の《勧学講条々》によれば,同寺領越前国藤島荘の年貢米を敦賀から海津まで運送するのに1駄1石につき1斗から1斗4~5升であるといわれている。また,同史料によれば,馬13疋をもって一類とすると記されており,運搬にあたっては集団が組まれたことが知られる。馬借の活動が商品流通にかかわることが多かったうえに,その集団性と機動性も関係して,室町時代になると徳政令の発布を要求した馬借一揆が各地で起きている。近世の馬借は専業者のみとなり,地域的なまとまりをもっていた。1625年(寛永2)大坂の馬借一同が町奉行に〈馬借手形〉と称する覚書を提出し,これを認められた。これ以後この手形は町奉行の交替ごとに伝馬年寄から新奉行に上呈されることになった。また近世中期,山城国相楽郡木津郷では,橋の改修にあたって〈南山城馬借中〉に対して了解を得ている事例がある。
車借
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百科事典マイペディア 「馬借」の意味・わかりやすい解説

馬借【ばしゃく】

中世・近世,馬を利用して物資輸送に当たった運送業者。中世には近江(おうみ)の大津・坂本・草津,山城の淀・山崎・木津(きづ),若狭の小浜(おばま)・敦賀など年貢や商品輸送の要地にいて,問丸の支配下にあった。商業にも従事。徳政令の発布,新関撤廃を要求,しばしば馬借一揆(いっき)を起こした。特に1418年大津の馬借数千人が京都祇園社を襲った一揆は有名。近世の馬借は専業者のみとなり,地域的まとまりをもっていた。→土一揆
→関連項目一揆坂本車借宿・宿駅正長の土一揆駄賃稼徳政一揆

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「馬借」の意味・わかりやすい解説

馬借
ばしゃく

平安後期から戦国期まで活躍した馬の背を利用する交通運輸業者。11世紀に成立した『新猿楽記』に馬借の語がみえ、大津(おおつ)・淀(よど)・山崎(やまざき)など畿内(きない)を中心とした交通の要衝や港・宿場を活動の拠点とした。比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)で勧学講(かんがくこう)が行われた際の記録である『勧学講条々』によれば、敦賀(つるが)から湖北の海津(かいづ)への馬借は馬13疋(びき)で一類をなして活動していたが、1270年(文永7)の彼らの駄賃は米一駄一石当り、一斗から一斗四、五升ほどで、駄賃を少なくすると、米を不法に減じたという。また馬借の営業活動を伝えている『西野(にしの)文書』によると、北陸街道で活躍した越前河野浦(えちぜんこうのうら)の馬借集団は1508年(永正5)「浦、山内(やまうち)馬借定書(さだめがき)」を作成しているが、これによると、彼らは単に物資輸送だけにとどまらず、塩・榑(くれ)の独占販売権をもっていた。この独占権は、同年さらに越前の戦国大名朝倉貞景(あさくらさだかげ)からも保障され、「公方(くぼう)様馬借中(ちゅう)」と称して、北陸街道を中心とした地域を商圏とした。その一方彼らには街道整備の義務も課せられていた。馬借はこのような交通運輸上にもつ実力を背景として、自己の経済活動を守るために、しばしば馬借一揆(いっき)を繰り返した。1466年(文正1)に山城(やましろ)国で起きた馬借一揆が京や奈良への通路を閉鎖できたのは、こうした彼らの日常活動によるものである。

[鈴木敦子]

『豊田武著『中世の商人と交通』(1983・吉川弘文館)』『佐々木銀弥著『日本の歴史13 室町幕府』(1975・小学館)』『脇田晴子「敦賀湾の海運について」(福井県立図書館、福井県郷土誌懇談会編『日本海海運史の研究』所収・1967・福井県郷土誌懇談会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「馬借」の意味・わかりやすい解説

馬借
ばしゃく

鎌倉~室町時代,馬を利用して物資を輸送した運送業者。平安時代末期から駄馬をもつ都市近郊の農民が,農閑期に物資の運送に従事したのが始りといわれる。鎌倉時代末期から活躍するようになり,農業従事者の兼業,運送を専業とする者,運送のかたわら商品を販売する者などがあった。一般に宿場問屋,荷駄屋の統制下にあったと考えられる。近江の大津,坂本,若狭の敦賀,小浜,山城の淀,山崎,木津など交通の要地に多く居住し,京都,奈良などに物資を輸送した。室町時代には土一揆の主体として活躍した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「馬借」の解説

馬借
ばしゃく

中世~近世,馬の背に荷物を乗せて運搬した運送業者。11世紀半ばの「新猿楽記」にみえるが,鎌倉時代以降に発達した。越前国敦賀,若狭国小浜,近江国大津・坂本,山城国淀・山崎・木津,大和国八木など水陸交通の接点や街道沿いの地を拠点とし,船で運ばれてきた物資を京都・奈良へ搬入した。各地の問屋の統制下にあったが,寺社のもとでの座的組織の形成,一定交通路の独占的使用や商人的側面もみられる。室町時代になると,広範囲な情報を得やすく,集団的組織力をもつため,しばしば土一揆(つちいっき)の先鋒となった。近世では中世以来の活動の拠点で伝馬(てんま)制下の運送業者を馬借という例がみられる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「馬借」の解説

馬借
ばしゃく

鎌倉末期より現れた駄馬を用いる運送業者
初めは都市近郊の農民が農閑期に従事。なかに商人を兼ねる者も出たが,多くは転落農民で問丸 (といまる) の統制下にあった。京への出入口にあたる大津・坂本・淀・木津などの交通の要地に集団的に居住した。馬借はその機動力を駆使して,しばしば土一揆の中心となった。

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世界大百科事典(旧版)内の馬借の言及

【近江国】より

…半済はのち永続的,全国的となり,荘園の年貢だけでなく,土地そのものを半分に分割するようになって,荘園制を崩壊に導いた。
[土一揆と馬借]
 鎌倉中期以来,農村では農民の自治的結合としての惣(村)が形成された。近江の農村はとくに先進的であり,すでに1262年(弘長2)現存最古の村掟(村法)が蒲生郡奥島荘で制定されている。…

【坂本】より

…このころより全国的な商品流通の発展にともなって,坂本は東国・北国から琵琶湖を経て京都へ至る物資輸送ルート上の中継港湾都市としての機能を高めていった。この結果,湖岸部には運送業者である多数の馬借(ばしやく)や商人の居住がすすんでいった。馬借は下坂本の富崎,比叡辻,戸津,坂井の地に居住し,山門に従属しつつ京都~坂本間の物資輸送に従事していた。…

【正長の土一揆】より

…11月にも土一揆が京中を攻めたが,幕府から徳政令が出されなかったようである。また同月には,南山城の木津,加茂などの馬借が奈良を攻め,これに宇陀郡の一揆が加わって徳政令の発布を要求した。そのため,11月25日に興福寺は奈良中に7ヵ条からなる徳政令を出した。…

【馬借一揆】より

…中世後期に陸上運輸業者の馬借が集団で蜂起した事件。土一揆(つちいつき)の先頭を切った行動として注目されているが,元来山門の強(嗷)訴(ごうそ)の一環として登場した事件である。…

※「馬借」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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