首里王府(読み)しゅりおうふ

百科事典マイペディア 「首里王府」の意味・わかりやすい解説

首里王府【しゅりおうふ】

琉球王国の統治組織。琉球王府・中山(ちゅうざん)王府ともいう。国王を頂点とし,国王補佐役の摂政(せっせい)と三司官(さんしかん)と称する執政官(3人)が中枢機関で,その役所を評定所(ひょうじょうしょ)という。評定所には三司官の下に表(おもて)十五人という長官・次官クラスの役人がおり,財政外交文教司法治安などそれぞれの部署を管掌し,国事の重要案件を審議答申,その下に約60の役座(役所)があった。地方には間切(まぎり)とよばれる行政単位ごとに,番所という役所が置かれ,離島には蔵元(くらもと)という地方政庁が置かれた。なお王国の祭祀を司る聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とする神女組織があった。1879年の琉球処分で王府は崩壊。
→関連項目首里城琉球文化歴代宝案

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「首里王府」の解説

首里王府
しゅりおうふ

琉球王府・中山王府とも。琉球王国の行政機関。王を頂点に摂政(せっせい),三司官(さんしかん)(3人制),表十五人(各役所の長官・次官クラス)などの首脳部があり,首里城に本部があった。各案件は表十五人で審議し,摂政・三司官が決裁,王に上奏して裁可を仰ぐ手続きであった。地方行政は各地の間切番所(まぎりばんじょ),宮古八重山の蔵元(くらもと)が直接担当し,必要事項について王府が指示した。鹿児島藩支配下の近世では那覇在番奉行が駐在し,鹿児島には琉球側の出先機関の琉球仮屋(のちに琉球館)がおかれるなど相互調整機能を維持した。1879年(明治12)の琉球処分・沖縄県設置により王府は崩壊し,その権能県庁に引き継がれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「首里王府」の意味・わかりやすい解説

首里王府
しゅりおうふ

中山王府

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世界大百科事典(旧版)内の首里王府の言及

【琉球】より

琉球使節)。薩摩,幕府への従属を強いられた一方で,伝統的な中国との朝貢・冊封関係は維持され,直接的な統治主体としての首里王府も存続した。いわば,日本の体制内の一員としての顔と体制外の異国としての顔を同時にもつ従属的な国家となった。…

※「首里王府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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