館山(読み)タテヤマ

デジタル大辞泉 「館山」の意味・読み・例文・類語

たてやま【館山】

千葉県、房総半島南部の市。もと里見氏、次いで稲葉氏城下町館山湾に臨み、海水浴場としてにぎわう。米作や野菜・花卉かき栽培、イワシ漁などが盛ん。人口4.9万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「館山」の意味・読み・例文・類語

たてやま【館山】

千葉県南部の地名。館山湾に面する。戦国時代は里見氏、江戸時代は稲葉氏一万石の城下町・那古(なご)寺の門前町および港町として発展。第二次世界大戦中は旧海軍航空隊の基地が置かれていた。館山湾の湾岸一帯は南房総国定公園一部で、観光施設が多い。昭和一四年(一九三九市制

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改訂新版 世界大百科事典 「館山」の意味・わかりやすい解説

館山[市] (たてやま)

千葉県南西部の市。市街は館山湾(鏡ヶ浦)に臨む館山平野に発達する。1939年市制。人口4万9290(2010)。古くから開けた地で,安房神社は阿波国の斎部(いんべ)氏が移住して創建したといわれる。古代には安房国府,国分寺が置かれ,条里制の遺構もわずかにみられる。戦国時代末期には稲村城,のち館山城に里見氏が拠り,城下町も形成され,市も開かれた。近世天領と小藩領で,1711年(正徳1)には北条藩領で年貢の過重取立てをめぐる万石騒動が起こっている。カツオなどの遠洋漁業ほか,天保改革以来絹織物に代わって武士商人の間で愛用された唐桟織も盛んであった。1914年房総線(現,JR内房線)が開通,東京湾汽船で東京と結ばれ,保養地,海水浴場となった。昭和初期には海軍航空隊の基地が置かれ,第2次大戦後も海上自衛隊の基地がある。また明治20年代から〈房州うちわ〉の生産が始まった。南房総国定公園の中心で,風光明美な海岸にはフラワーラインが走り,国民休暇村,国民宿舎がある。海岸は無霜地帯で,花卉の促成栽培が盛んであり,船形港と館山港はカツオ船への生餌の供給地として知られる。洲崎には源頼朝が信仰した洲崎神社があり,洲崎踊,湯華(湯立)の神事が行われる。また1792年(寛政4)完成の台場や灯台もある。ほかに那古寺,崖の観音(大福寺),船越鉈切(ふなこしなたぎり)神社などがある。
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