養父(市)(読み)やぶ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「養父(市)」の意味・わかりやすい解説

養父(市)
やぶ

兵庫県の北西部に位置する。2004年(平成16)に養父郡八鹿(ようか)、養父関宮(せきのみや)、大屋(おおや)の4町が合併、市制を施行して養父市となった。西部の鳥取県境には兵庫県最高峰の氷ノ山(ひょうのせん)(1510メートル)、北部西寄りには妙見山(1139メートル)がそびえ、氷ノ山の南東方に若杉(わかすぎ)高原、北東方に鉢伏(はちぶせ)高原(ハチ高原)などの高原地帯が連なる。西部山岳地帯を水源とする八木(やぎ)川、大屋川などが東流し、市域東部を蛇行しながら北西流する円山川(まるやまがわ)に注ぐ。八木川は小佐(おさ)川、大屋川は明延(あけのべ)川、建屋(たきのや)川などの支川を集め、集落・耕地は各河川沿いの沖積地や河岸段丘上に発達。市域を国道9号が横断、312号が縦断し、円山川沿いにJR山陰本線が通じる。西部の山岳地帯は氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)、およびこれに連なる但馬山岳県立自然公園の域内。八木川北岸に位置する箕谷古墳群(みいだにこふんぐん)の2号墳(国指定史跡)からは「戊辰」銘の鉄刀が出土、「戊辰」は608年にあたると推定され、銅象嵌銘(がんめい)としては国内でもっとも古い。市域は古代~近世但馬国養父郡の境域とほぼ合致する。『延喜式』神名帳には養父郡24社(30座)が記載され、うち名神大社の「夜夫坐神社」は現在の養父神社に、水谷神社は奥米地(おくめいじ)鎮座の同名社に、同じく神名帳記載の名草神社は、妙見山北東山腹に所在する同名社に比定される。名草神社は中世には八鹿町石原(ようかちょういしはら)にあった妙見山日光院と関係を深めて妙見宮とよばれ、日光院は但馬地方における妙見信仰中核となった。名草神社の三重塔は出雲大社からの移築と伝え、国指定重要文化財。八木城跡(国指定史跡)は、中世養父郡の国人領主八木氏(日下部一族)の居城跡。八木氏退城後の1585年(天正13)には豊臣秀吉家臣の別所氏が城主となり、関ヶ原合戦後の別所氏転封で廃城となった。八木氏居城の時代から城下町(八木市場)が形成され、鍛冶屋・紺屋などの職人も住していた。江戸時代、養父市場村、八鹿村、広谷村などは水陸交通(山陰道、およびその支路と円山川舟運)の接点となり、近在の流通・商業の中心として栄えた。うち、養父市場村は但馬牛の集散地となり、八鹿村は江戸時代後期に養蚕業が盛んになると、繭の集積地としてにぎわい、八鹿商人の活躍は近代に続いた。近代に入ると、市域に製糸工場も進出、養父市場では製糸工場から排出されたサナギを飼料とした養鯉(ようり)業(現在はニシキゴイの飼育)がおこっている。明延川最上流域の山地にあった明延鉱山は、戦国時代末期から江戸時代初期には銀山、その後は銅山として栄えた。近代に入り、1896年(明治29)には三菱傘下となって銅・亜鉛・スズの鉱山として稼働、スズ産出量は日本有数を誇ったが、1987年(昭和62)閉山となった。現在の主産業は農林畜産業で、ブランド米の蛇紋岩米のほか、高原野菜、富有柿、轟(とどろき)大根などが特産。また花卉(かき)栽培、食肉牛(但馬牛)の肥育も盛ん。氷ノ山東麓やハチ高原にはいくつかのスキー場がある。能座(のうざ)にある建屋のヒダリマキガヤは国指定天然記念物。大屋町加保(おおやちょうかぼ)の加保坂湿原は西日本で唯一のミズバショウ自生地。面積422.91平方キロメートル、人口2万2129(2020)。

[編集部]


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