飯塚新田(読み)いいづかしんでん

日本歴史地名大系 「飯塚新田」の解説

飯塚新田
いいづかしんでん

[現在地名]小山市飯塚

おもい川とその支流姿すがた川に挟まれ、南は半田はんだ村。壬生みぶ通の最初の宿で一里塚も現存する。飯塚町・飯塚宿ともよばれる。中世小山庄の最北端に位置する。天文五年(一五三六)と推定される一一月二七日の小山高朝伊勢役銭算用状写(佐八文書)に小山領上郷分として「上いゝつか」「下いゝつか」がみえ、上飯塚郷は一貫七〇〇文、下飯塚郷は三貫四〇〇文を負担している。なお当村域に含まれる老沼おいぬまの地も上郷分「おいぬま」とみえ、四八〇文を負担している。

承応元年(一六五二)壬生町の枝郷として開発され、同三年壬生通伝馬宿となる(正徳二年「村明細帳」神山美児登文書)。以後壬生藩領。同三年の飯塚新町開基名主・年寄控之次第(同文書)によれば、同年六月名主二人と年寄四人が決定し、飯塚町(宿)が成立した。「曾良旅日記」元禄二年(一六八九)三月二九日に「此間姿川越ル。飯塚ヨリ壬生ヘ一リ半。飯塚ノ宿ハヅレヨリ左ヘキレ、(小クラ川)川原ヲ通リ、川ヲ越」と記される。

飯塚新田
いいづかしんでん

[現在地名]柏崎市飯塚

飯塚村の枝村耕地は同村百姓による出作とみられる。天和検地で高請されたと推定され、同三年(一六八三)の越後中将御領覚に高八石六斗余を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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