食物分配(読み)しょくもつぶんぱい(英語表記)food sharing

最新 心理学事典 「食物分配」の解説

しょくもつぶんぱい
食物分配
food sharing

ある個体の所有する食物が,力ずくではなく,別の個体の手に直接渡ること。そのパターンは,分配者が自ら積極的に与える場合と,相手が持っていくのを許容する場合に大別される。人間の社会で広く見られる特徴的行動であるが,昆虫,鳥類,イヌ科の動物霊長類など,人間以外の動物種でも見られる。いずれの分配パターンによっても分配者は自身の利を失い,被分配者に利をもたらすことになるという,代表的な利他行動であるため,その進化過程が議論されてきた。

 食物分配が行なわれることを説明する主要な理論モデルとして,次の四つが挙げられる。⑴血縁者に分配することで,分配者自身の包括適応度が上がる(血縁淘汰kin selection),⑵互恵的な分配行動により,時間を隔てて分配者も利を得る(互恵的利他性reciprocal altruism),⑶所有する食物資源の価値に対して防御のコストが上回る場合(たとえば,一度に大量の食物を入手し残りがあるが,所有者はすでに満腹で保存もできない場合,食物の価値は所有者にとっては低いが,空腹の被分配者にとっては高い),所有者は分配により利を得る,⑷分配できるということが個体の質の高さを示すシグナルとなり,分配者は,繁殖や同盟などの場面でパートナーとして選ばれ利を得る。

 とくに人間の社会では,血縁者間のみならず非血縁者間でも広範な食物分配が見られる。人間の祖先は狩猟採集生活を営んでいた。現代,狩猟採集生活を営む集団では共通して食物分配が見られる。ほぼすべての集団において,狩猟は主に男が,採集は主に女が担っている。こうした分業は,相互の食物分配を前提として初めて成り立つ。狩猟は,成功する場合もあれば,失敗する場合もあり,食物の入手に不確実性が伴う。複数の狩猟者間での分配を前提として狩猟活動を営むことにより,不確実性は軽減され,食物の入手可能性がより保障されることになる。

哺乳・離乳後の食物分配】 多くの動物種において,食物分配が頻繁に見られる個体間の組み合わせは親子である。とくに乳を飲ませて子どもを育てる哺乳動物では,食物分配は子どもの離乳を早め,成長を促すとされる。哺乳動物において,子どもの初期成長は哺乳suckleにより支えられる。成長に伴い子どもは離乳weaningし,自力での独立した採食へと移行する。その移行期に,子どもの栄養摂取を補い,食物レパートリーや食物加工技術の習得を保障する機能が,食物分配にはあるという。人間の親は子どもがおとなになるまで食物を与えつづける。一方,ほかの哺乳動物で見られる親子間の分配は,子どもの授乳期にほぼ限られる。たとえば人間に最も近縁チンパンジーは,平均して約5年で離乳するが,親から子どもへの分配が比較的頻繁に見られるのは生後1~3年時である。子どもは一度離乳をすると,基本的には必要な食物のすべてを自分自身で入手しなければならない。しかし人間の子どもは離乳を終えた後も長きにわたり,親をはじめとするおとなからの食物分配に栄養源を頼りつづける。

 ゆっくりと大きな脳を成長させ,複雑な社会で生きていく術を身につけるために,人間は成熟まできわめて長い時間を要する。また,他の哺乳動物に比べ人間の子どもの離乳は早く,身体的に未熟な状態で離乳する。そのころの脳の成長は著しく,それを支えるに足る栄養をおとなからの食物分配によって摂取する必要がある。子どもに離乳食を提供するのは,母親でなくても可能である。子どもを早期に離乳させれば,母親はすみやかに次の妊娠・出産サイクルに移行することができる。保育中の子どもの生存が保障されつつ,繁殖サイクルが速くなることは,母親のみならず,父親をはじめとする子どもの血縁者の繁殖成功をも高めることにつながる。

 こうした視点から,近年,とくに子どもへの食物分配が,人間進化の鍵になったとする説が提唱されている。フルディHrdy,S.B.(2009)によれば,子どもへの栄養提供や子どもの運搬・保護など,子どもの保育nurtureに親以外の個体がかかわることで,子どもは成長に時間をかけることが可能になった。子どもは,母親をはじめとする周りのおとなから多くの世話を引き出すために,周りをよくモニターし,他者の気分や意図を理解し,ときには自ら働きかけるようになったという。さらにバーカートBurkart,J.M.ら(2009)は,ほかの動物に類を見ない人間の強度な向社会性は,親以外の個体から子どもへの食物分配を背景に進化したと主張する。日常的に子どもに食物を分配し,保育にかかわることをきっかけに,母親のみならず広範な個体で自発的な向社会性が育まれる。それが情報の共有や他者の心的状態の理解,意図の共有への動機づけへとつながる。類人猿との共通祖先がもっていた認知能力に,自発的な向社会性の発達が加わることで,人間に特徴的な認知能力が進化したという。

 こうした進化的視点からは,現代の食についても示唆を得ることができる。飽食の時代といわれる現代の日本では,食習慣の乱れによる健康被害が懸念されている。食に対する国民の意識を高め,食習慣の改善を行うべく食育food education,dietary educationが推進されてきた。2005年に制定された食育基本法では,とくに子どもに対する食育の重要性が指摘された。子どもの食はおとなからの食物分配を前提として進められるものであり,母親に限らずさまざまなおとながかかわるのが人間の根源的な姿だ。本来の姿に照らし,他者とのかかわりのなかで子どもの食をはぐくむことが求められる。 →行動生態学 →繁殖戦略
〔上野 有理〕

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