飛鳥の石造物(読み)あすかのせきぞうぶつ

改訂新版 世界大百科事典 「飛鳥の石造物」の意味・わかりやすい解説

飛鳥の石造物 (あすかのせきぞうぶつ)

奈良県明日香村を中心とし,高取町,橿原市のいわゆる〈飛鳥〉に点在する奇怪な形をした約20個の石造物。仏教美術とは異質にみえ,用途が明らかでないため,〈謎の石〉と呼ばれるが,姿・形から,猿石,人頭石,石人像,亀石,酒舟石,須弥山(しゆみせん)石,益田岩船,立石などと名付けられてきた。例えば〈酒舟石〉は巨石の上面を滑らかにし,円形のくぼみを細長の溝で樹系図状に結んだもので,西の丘陵下に向かって傾斜する。〈石人像〉は岩に腰かけ酒を飲む翁と寄り添う老女の姿をした等身大の像。2人の口元に噴水用の導水孔が貫通する。〈須弥山石〉は達磨形の3段組みの噴水石で,上段中段は須弥山の山並みを浮彫し,下段には水波を表す。下段石裾より導水口があり,中にはくりぬきの槽をつくる。水を入れると下段の水波を濡らす。吉備媛王(きびのひめみこ)墓の前に置かれた4体の〈猿石〉と高取城わきの〈猿石〉〈人頭石〉の6体は,もと同じ場所にあったらしい。いずれも裸の座像である。代表的な猿石は頭巾をかむり,手を腹部におく。陽物によって男性とわかるが,背面にもほぼ同様の毛髪をつけた女性の浮彫がある。〈益田岩船〉は,飛鳥の西,岩船山の頂上近くにあり,10m×7m,高さ7.5mの台形状の巨石塊の上面に,南北正方形の穴を2個あける。側面は石材加工途中の細溝を残す。

 石造物の研究は,江戸時代中頃以来,本居宣長をはじめ,文人による大和古跡行脚の紀行文による紹介に始まる。初期は鬼雪隠・俎と益田岩船への関心が中心であったが,次第に酒舟石に及び,明治以降,石人像,須弥山石へと研究対象が移る。昭和30年代以降,益田岩船についての論考が多い。

 用途については多説あるが,主として鬼雪隠と俎の組み合う墓室説,さらに益田岩船の未完成墳墓説,また,酒舟石,石人像,須弥山の庭園装飾石説に要約できる。とくに後者の須弥山石,石人像石の出土地は飛鳥寺の北西に隣接し,《日本書紀》斉明3年(657)7月条〈須弥山の像を飛鳥寺の西に作る。盂蘭瓫会(うらぼんえ)を設く。暮に都貨羅人(とからびと)に饗ふ〉に該当し,内部の導水しかけによって各地の客人をもてなす噴水施設である。酒舟石も導水用の装飾石であり,今は現地にないもう一つの酒舟石と復元的にみると,付近から出土した溝彫の車石とともに飛鳥寺南方の東の丘上より西へ水を流し,飛鳥川西岸にあった出口酒舟石に接合し,川へ排水したらしい。

 石造物の分布をみると庭園装飾石は飛鳥寺周辺に限定され,宮殿に関係するものであることは明白である。石造物の石質は,野口,真弓岡など飛鳥の南,西方向に集中する墳墓と同じ花コウ岩である。製作技術は石材加工痕では益田岩船,亀石,猿石,須弥山石が共通し,これらは7世紀後半の墳墓加工痕と共通する。さらに,須弥山石の出土地によってみると,《日本書紀》斉明紀の記載と矛盾なく,7世紀中葉から後半にかけての年代が推定できる。これらの石造物は,百済益山弥勒寺にある石の座像と酷似し,朝鮮半島三国時代の石造文化の影響を無視できない。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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