風流(読み)フウリュウ

デジタル大辞泉 「風流」の意味・読み・例文・類語

ふう‐りゅう〔‐リウ〕【風流】

[名・形動]
上品な趣があること。みやびやかなこと。また、そのさま。風雅。「風流な庭」
世俗から離れて、詩歌・書画など趣味の道に遊ぶこと。「風流を解する」
ふりゅう(風流)2」に同じ。〈日葡
美しく飾ること。数奇すきをこらすこと。また、そのさま。
「御前に―の島形をすゑられたり」〈太平記・二四〉
風流韻事」の略。
「―のはじめや奥の田植歌」〈奥の細道
先人ののこしたよい流儀。遺風。
「倭歌の―、代々にあらたまり」〈常盤屋の句合・跋〉
[類語]風雅雅趣雅致閑雅

ふ‐りゅう〔‐リウ〕【風流】

上品で優雅なおもむきのあること。ふうりゅう。
中世芸能の一。華やかな衣装や仮装を身につけて、はやし物の伴奏で群舞したもの。のち、華麗な山車だしの行列や、その周りでの踊りをもいう。ふうりゅう。→風流踊り
延年舞の演目。登場人物の問答のあと、歌舞となる。規模により、大風流小風流とある。風流延年。能の「」の特殊演出。狂言方が担当。大勢の華やかな衣装の演者が出て寿を祝う。狂言風流

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精選版 日本国語大辞典 「風流」の意味・読み・例文・類語

ふう‐りゅう ‥リウ【風流】

〘名〙
① 先人の遺風。伝統。余沢。流風。
※正法眼蔵随聞記(1235‐38)二「糞掃衣・常乞食、是は上根の所行、又是西天の風流也」 〔後漢書‐王暢伝〕
② (形動) 上品で優美な趣のあること。優雅なおもむき。みやびやかなこと。また、そのさま。詩歌を作り、その趣を解し、あるいは趣味の道に遊んで世俗から離れることにもいう。風雅。文雅。
※万葉(8C後)六・一〇一一・題詞「風流意気之士儻有此集之中争発念心々和古体
※読本・昔話稲妻表紙(1806)一「其比義政公〈略〉花車(キャシャ)風流(フウリウ)を好み玉ひ」 〔晉書‐王献之伝〕
③ 美しく飾ること。数奇(すき)をこらすこと。意匠をこらすこと。華奢(きゃしゃ)。また、そのもの。
御堂関白記‐寛弘七年(1010)閏二月六日「折櫃百合左衛門督調所、不金銀、只有風流
梁塵秘抄口伝集(12C後)一四「京ちかきもの男女紫野社へふうりやうのあそびをして」
※亀田本下学集(室町中‐末)「風流 フウリウ 風情義也 日本俗呼拍子物風流」
菅家文草(900頃)五・三月三日、同賦花時天似酔「書巴字而知地勢、思魏文以翫風流
古今著聞集(1254)一九「かねての仰によりて、風流ならびにかずさしの具はとどめられけり」
⑦ 鷹(たか)の翼の一部分の名。→

ふ‐りゅう ‥リウ【風流】

〘名〙
① (形動) =ふうりゅう(風流)
※能因集(1045頃)中「白河殿に、道済朝臣とふたりゆきて、ふりうをかしきさまよまむといひて」
② 祭礼の行列などで、服装や笠に施す華美な装飾。
※百練抄‐久寿元年(1154)四月「京中児女備風流調鼓笛、参紫野社
③ 芸能の一種。
(イ) 華麗な仮装をし、囃し物を伴って群舞した、中世の民間芸能。また、その囃し物。後には、趣向をこらした山車などや、それを取り巻いて踊ることをもいった。
※春のみやまぢ(1280)「まづふりう、馬長、次に本田楽、其後猿楽」 〔文明十七年本下学集(1485)〕
(ロ) 延年舞の演目の一群。大風流と小風流とがある。数人の人物の問答の後、神仏などが出て、歌舞となる。風流延年。
※勘仲記‐弘安元年(1278)五月七日「入夜有寺田楽。供僧房人結構之、有風流等、終夜延年結構」
(ハ) 能楽の「翁(式三番)」の特殊演出で狂言方の受持つ演目。華麗に着飾った役者が大勢登場し、寿福を祝うもの。狂言風流。
※わらんべ草(1660)一「付ふりうの事、当人の作意なり、是も作法あり」
(ニ) (「浮立(:リフ)」とも書く) 郷土芸能の一種。佐賀・長崎・福岡の三県に分布する。鬼面の者や仮装の者が鉦・太鼓・笛などの囃子で踊る。ふりゅうまつり。

かざ‐ながれ【風流】

〘名〙 鷹狩りの時、放した鷹が風に吹き流されて、目標物からよそへそれてしまうこと。
散木奇歌集(1128頃)恋「みかり野にかざながれするはし鷹の声にもつかぬうらみをぞする」

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改訂新版 世界大百科事典 「風流」の意味・わかりやすい解説

風流 (ふりゅう)

華やかな趣向のある意匠をいう。〈風流(ふうりゆう)〉は,《万葉集》では〈みやび〉と訓じ,〈情け〉〈好き心〉などの意も含んでいたが,平安末期から中世にはもっぱら〈ふりゅう〉と読まれ,祭りの山車(だし)や物見車に施された華美な装飾,その警固者の奇抜な衣装,宴席に飾られた洲浜台(すはまだい)の趣向などを総称するようになった。これら貴族社会の風流は,しばしば朝廷から禁令が出るほどに華美なものであったが,南北朝期に入ると力をつけてきた町衆や地方の有力農民層にも浸透し,とくに彼らが担い手となった祭礼の芸能の中で大きく花開いた。このため,一般に風流と称した場合,室町時代の社寺の祭礼などに,さまざまな扮装や仮装で笛・太鼓・小鼓・鉦(かね)などに囃されて繰り出した〈囃子物はやしもの)〉や,それからさらに発展して,趣向をこらした踊り衆がまわりについた〈風流踊〉,また文学や和歌の心を意匠化した風情ある〈作り物〉をいうのである。室町期成立の《下学集》にも,〈風流〉を〈風情の義也。日本の俗,拍子物を呼びて風流と曰ふ〉と記している。この時代の風流の実態を最も詳しく記したものに《看聞日記》がある。これは室町時代初期に,京都近郊の伏見郷に居を構えた伏見宮貞成(さだふさ)親王の日記であるが,それによれば,風流を催すのは郷内の地下人(じげにん)で,新春の松囃子(まつばやし)や左義長(さぎちよう),それに盂蘭盆会(うらぼんえ),祭礼などに,郷内の村々がそれぞれ趣向を競った囃子物を仕立てて御所に推参し,寺や各村へも互いに往来しあったという。

 その芸態は,趣向をこらした大きな風流傘を中心に,〈九郎判官奥州下向之躰〉〈畠山六郎ユイノ浜合戦人飛礫ノ躰〉〈五条立傾城之躰〉など,人のよく知る物語の一場面や,当時の風俗を仕組んだ作り物,仮装の一団を,笛・太鼓・小鼓などで囃すものであった。また1416年(応永23),洛西桂(かつら)の石地蔵が奇瑞を示したおりには,都人が連日のように風流を仕立てて大挙して参詣(さんけい)したが,そのときのようすを記した《桂川地蔵記》には,〈上宮太子が逆臣守屋を討つところ〉〈頼政の鵼(ぬえ)退治〉〈鴻門(こうもん)の会〉など,古今東西の故事にちなむ趣向60余が列挙されている。《経覚私要鈔(きようがくしようしよう)》《大乗院寺社雑事記》などによれば,奈良では15世紀後半に古市氏など国人衆を中心に盆に大がかりな風流が行われており,そのころから囃子物のまわりに大勢の踊り衆が見られるようになった。以後,風流の芸態は祭礼などに引き出される作り物を中心とした山車や鉾(ほこ)など,〈作り物風流〉と,盆などに行われる踊りを主体とした〈風流踊〉に分化した。前者の代表は祇園会(祇園祭)に京の町衆によって引かれる山鉾であるが,現在の趣向は,応仁の乱後の1496年(明応5)復興以降の趣向が定着したものである。

 中世の大きな美意識の潮流ともいえる風流の精神は,日常生活はもとより,同時代の芸能である延年(えんねん)や能・狂言にも影響を与えた。

寺院の法会のおりの延年には,〈大風流〉〈小風流〉と呼ばれる演目がある。いずれも舞台には華美に飾った舟,山,車,清涼殿,塚,師子の座などの作り物が設けられ,鳥類,獣類,魚類,虫類などの被り物をつけた走物(はしりもの)と呼ばれる一団が登場してにぎやかな場面を展開するが,〈大風流〉では,王者が出て最後を舞楽で納め,〈小風流〉では臣下などワキ衆が誘(おこつり)によって風流衆を呼び出す形式をとる。これらの芸能はおもに大和の大寺で行われており,多武峰(とうのみね)にその台本が残されている。
延年

風流の作り物で文学や和歌などの故事を好んで立体化する精神は,能にも共通するもので,同時代の芸能である能は,風流の精神を基盤として飛躍したともいえる。とくに応仁の乱以後には《羽衣》《船弁慶》《紅葉狩》など,見た目の華やかさを主眼とした能が作られており,現在ではこれを〈風流能〉の名で呼びならわしている。また能の《式三番》(《翁》)に介入する形で演じられる〈狂言風流〉も,その名称からして当時の囃子物の仮装風流や,延年の風流の〈走物〉の影響を受けていることは明らかである。室町時代後期の風流踊を支えた層と,当時の能・狂言を享受した層とは共通で,風流踊の趣向には能の曲が転用され,その入破(いりは)(キリ)が踊りの中で演じられたことも多い。

京都の祇園会の山鉾,日立市神峰神社の〈日立の風流物〉に代表される作り物の風流はもとより,風流踊の系譜を引く太鼓踊・羯鼓踊(かつこおどり)・花踊・雨乞踊,囃子物の伝統である鷺舞などの動物仮装風流,胸に羯鼓をつけた一人立ちの獅子舞鹿踊(ししおどり)をはじめ,念仏踊(踊念仏)や盆踊など,全国の民俗芸能には風流の精神を受け継いだ芸能が多い。民俗芸能を分類する場合,それらを一括して〈風流系芸能〉と称するが,その芸態は一様ではない。ただ民俗の心意伝承の中に,人に害をなす悪霊や疫神を追い払うにあたり,華やかに飾りたてた神座(神籬(ひもろぎ))を設けてそこに迎え,笛や太鼓で囃したてて生活圏外に追い出すという思想があり,風流系の芸能が広く伝播(でんぱ)する背景ともなっている。佐賀,長崎,福岡の3県には〈浮立(ふりゆう)〉と呼ばれる芸能が分布するが,これも風流の当て字で,鬼面の者や仮装の者が笛・太鼓・大小鼓・鉦などで囃されて踊る芸態は,一種の囃子物といえよう。
囃子物 →風流踊
執筆者:

風流 (ふうりゅう)

(1)中国でこの熟語の最も古い用例は漢初(前2世紀)の《淮南子(えなんじ)》に見え,風俗の退廃を意味した。したがってそれは貶辞(へんじ)(人をおとしめ,さげすむことば)であったと思われる。しかしやや後には,風俗のなごり・遺風の意味の用法も見られる。(2)魏・晋時代(3~4世紀)には,ひとから仰ぎ慕われる風格・人格の高さをさすようになる。そのころ〈風流の名士〉とよばれた一群の人は古来の道徳や礼法を無視し,因襲を脱しようとした人びとであった。その何ものにも束縛されない自由の精神のあらわれが〈風流〉とよばれたのである。もともと軽蔑のことばが,どうして敬意をあらわす語となったかを考えてみるに,風流すなわち風のながれは風の吹きとおってゆくさまであるから,それを精神の自由の比喩として用いたのであろう。そして〈風流の名士〉は〈清談〉すなわち深遠な哲学(老子・荘子(そうじ)の哲学)の議論にふけり,実務をかえりみなかったため,儒学の伝統を固く守る思想家や政治家から爪はじきされたのは当然であった。だから初めは非難のことばであったのが,非難された当人たちはそれを逆手にとって自尊心を強め,それが他人から彼らをよぶことばにもなったのであろう。(3)〈風流〉の態度はこのようにして〈俗〉(俗人の態度)と対立するものであったゆえに,やはり〈俗〉と対立した意義をふくむ〈雅〉とほとんど同義の語となった。日本で〈風流〉を〈みやびやか〉と訓ずるのは,この(中国における)語義の変化に由来すると思われ,やはり敬意をあらわす。(4)南朝斉・梁の時代(6世紀)に〈風流〉の語義はさらに転化して,官能的な美,なまめかしさを意味するようになる。そのころ編集された《玉台新詠集》に収められた詩に,この意味に用いられた数例が見られる。それに先だって5世紀では,端正でないもの,しどけない姿をした人を風流と言った例がある(南斉の王倹は風流宰相とみずからをよんだが,彼は解散(ほどけた)髻(まげ)をゆい,ななめに簪(かんざし)をさし,朝野の人びとこれにならったと言う)。それは〈放誕風流〉の語から知られるように,すでに風流と放縦とが分かち難くなっていたからであった。その感覚は,また当時の文学観につらなる。梁の簡文帝らが〈文章は放蕩であるのがよい〉と言ったのは,感情の動きが度を過ごす方をよしとしたのであった。(4)のなまめかしさの意味はさらに進んで,唐詩などに見える〈風流才子〉の風流は,好色者をさす。そして俗語ではもっと悪い意味に用いられて,今日に及んだ。

 かように“風流”の語義はさまざまに変わったが,中国の文章語(〈文言〉)では,唐代以後,近代まで,むしろよい意味に使われることが多くて,仰ぐべく,慕わしく,あるいはなつかしむ感情を伴っていた。それは(1)に述べた“遺風”“風格”の意味から来たものであろう。
雅俗
執筆者: 日本の場合は〈風流〉を,《万葉集》では〈みやび〉と訓じ,〈ひなび〉に対する語として用いることが多いが,平安末期から中世にかけてはもっぱら〈ふりゅう〉と読み,装飾や器物の優美な趣向をさす場合に用いるようになる。こうした貴族社会における風流は,しばしば禁令が出されるほど華美をこらしたものになるが,やがて社寺の祭礼などにおける芸能としての風流(ふりゆう),すなわち華麗な装束や作り物を伴う囃子物(拍子物(はやしもの))や,それから発展した風流踊(ふりゆうおどり)につながっていくことになる。
風流(ふりゅう) →風流踊 →みやび
執筆者:

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百科事典マイペディア 「風流」の意味・わかりやすい解説

風流【ふりゅう】

みやびやかなもの,風情(ふぜい)あるものの意から,目を驚かすような風情ある作り物をさすようになり,さらに,そのようなものが加わっている囃子物(はやしもの),舞踊をもさすようになった。風流は扮装などにさまざまな趣向を凝らすのが特色で,はなやかにきらびやかに飾り立てる。延年の風流,松囃子の風流,念仏踊(踊念仏)の風流,風流の小唄踊など各種ある。
→関連項目えんぶり鷺舞猿楽山車

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普及版 字通 「風流」の読み・字形・画数・意味

【風流】ふうりゆう(りう)

遺風。風雅の趣。〔晋書、王献之伝〕少(わか)くしてり。高不羈(ふき)、閑居日なりと雖も、容止怠らず。風、一時の冠たり。

字通「風」の項目を見る

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「風流」の意味・わかりやすい解説

風流
ふりゅう

趣向を凝らした作り物に発し,祭礼でのさまざまに飾り立てた作り物,これに伴う音楽,舞踊などをいう。「風流」の文字は古く「みやび」と訓じ,みやびやかなもの,風情に富んだものを意味したが,平安時代には和歌や物語を意匠化した作り物をさすようになり,祭礼の際の傘,山,鉾などが風流と呼ばれ,これに付随した仮装の練り物,囃子,踊りまでが含まれるようになった。延年に大風流,小風流の演目があり,能楽にも狂言方の演じる狂言風流がある。特に田楽や疫病神の祭に伴う風流が流行してからは,山や鉾を飾り立て,囃子をはやし練歩く祭礼の風流が盛んとなり,室町時代末から近世初期にかけては小歌をうたって踊る群舞が各地で流行した。それらは今日まで特色ある民俗芸能として全国に伝承されている。 (→風流踊 )

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「風流」の解説

風流
ふりゅう

みやびやか,風情あるものの意から,趣向をこらした作り物,練り物,仮装,囃子(はやし),集団舞踊などをいう。平安末~江戸初期に流行し,豪奢さや熱狂的な踊の弊害ゆえにしばしば禁止された。室町初期の風流の実態は「看聞御記(かんもんぎょき)」に詳しく,作り物や囃子物が主であった。また1604年(慶長9)の大がかりな風流踊は「豊国(ほうこく)祭図屏風」に描かれる。疫神祭に発した祇園祭,やすらい花の風流,田楽の風流も流行し,寺院の延年(えんねん),正月の松囃子,盆の念仏囃子にも風流があった。現在は能の「翁」に狂言風流が挿入されているほか,民俗芸能の大半は風流系統に属し,各地に念仏踊・盆踊・太鼓踊・羯鼓(かっこ)獅子舞・小歌踊・綾舞などがある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「風流」の解説

風流
ふりゅう

古代末期〜近世初期に流行した拍子 (はやし) 物の一つ
芸能としての風流は和漢の故事を仕組んだミュージカル風のものと考えられ,元来ははなやかな風情ある「作り物」,祭礼の「練りもの」(のちの山車 (だし) )であったが,やがて「拍子物」として,手振り・踊りを伴った。寺院の遊宴歌舞であった延年の舞にとり入れられ,能楽の形成に大きな役割をもつ。安土桃山時代の念仏踊もこの一種で,歌舞伎の成立に影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内の風流の言及

【みやび】より

…〈雅び〉とあてられ,〈ひなび(鄙び)〉に対する語で,広く都(みやこ)風宮廷風の事柄・事物についていう。漢文訓読史では〈風流〉〈閑雅〉などの漢語に〈みやびかなり〉の訓が付けられた。はやく《万葉集》に〈梅の花夢に語らくみやびたる花とあれ思ふ酒に浮かべこそ〉(巻五)があり,また〈遊士とわれは聞けるを屋戸貸さずわれを還せりおその風流士〉(巻一)の〈遊士〉〈風流士〉も〈みやびを〉とよむべきものと推定される。…

【延年】より

…そして,時の経過とともに延年芸にはさまざまの意匠がこらされ,演ぜられる芸能の種類もしだいに増加していった。たとえば多武峰では6月の蓮華会の延年が盛大であったが,その蓮華会延年の室町後期における演目をみると,頌物,俱舎舞(くしやまい),切拍子,乱拍子,音取(ねとり),楽,朗詠,白拍子,開口,連事(れんじ),狂物,伽陀,小風流,大風流,鉾振(ほこふり)などがあり(1515年(永正12)の《蓮華会延年式目》),演目の増加と次第の整備がいっそう進んでいることがわかる。これを興福寺など他の寺院の室町期の演目に比較してみると,多少の出入りはあるが,大略は上記の多武峰蓮華会の延年式目に一致する。…

【芸能】より

…猿楽は,その後,狂言の二種を並存させながら幕府の式楽としての道をあゆむ。 その間,諸寺院では僧侶たちによる延年(えんねん)の芸能が行われ,民間では白拍子(しらびようし),曲舞(くせまい),幸若舞(こうわかまい)などの遊行芸能者による歌舞や,極楽往生を願う民衆が念仏を唱えつつ群舞する踊念仏,さらには若い男女が華麗な衣装と小道具を誇示して踊る風流踊(ふりゆうおどり)(風流)などが流行した。長い戦国の争乱ののち,徳川幕府が成立したのは1603年(慶長8)であったが,この年京の河原で名のりを挙げた出雲のお国の歌舞伎踊には,それら踊念仏や風流踊などの要素が多彩に取り込まれていた。…

【日本音楽】より

…日本の伝統音楽は一般に音楽独自の様式を発展,完成するよりも,演劇や舞踊などと結びついた芸能の形をとって発展する傾向がきわめて強かったが,その発展の母体となってきたのが民俗芸能で,能や歌舞伎なども民間で行われていた芸能がしだいに芸術的に洗練され完成されたものである。現在各地に行われている神楽,田楽,風流(ふりゆう)などの民俗芸能の音楽には,現在の芸術音楽にはすでに見られないような古い大陸の音楽文化の影響や能・歌舞伎の音楽の先行形態も残っており,芸術音楽よりもはるかに多くの種類の音楽が行われており,日本音楽史上きわめて重要な地位を占めている。また,日本の民俗音楽においては歌の占める比重がたいへんに大きい。…

【松囃子】より

…また,室町幕府での観世の松囃子は永享(1429‐41)年末から正月14日に定着していた。 松囃子にはたいてい風流(ふりゆう)と呼ばれる華麗な作り物や仮装,舞,あるいは曲舞(くせまい),田楽(でんがく),獅子舞,そして能が付随して演ぜられているが,人々の関心はむしろこの付随する芸能のほうにあったのであり,風流としては〈九郎判官奥州下向の躰〉〈五条立傾城の躰〉〈清涼山の橋,文殊,師子等〉〈鶴亀舞〉などが資料に見えている。能が演ぜられたのは室町御所での観世大夫の松囃子と,禁裏,室町御所などに推参した声聞師の松囃子であった。…

【民俗芸能】より

…長年全国を踏査して多くの研究成果をあげた本田安次(1906‐ )は,これを整理して次のような種目分類を行った。 (1)神楽 (a)巫女(みこ)神楽,(b)出雲流神楽,(c)伊勢流神楽,(d)獅子神楽(山伏神楽番楽(ばんがく),太神楽(だいかぐら)),(2)田楽 (a)予祝の田遊(田植踊),(b)御田植神事(田舞・田楽躍),(3)風流(ふりゆう) (a)念仏踊(踊念仏),(b)盆踊,(c)太鼓踊,(d)羯鼓(かつこ)獅子舞,(e)小歌踊,(f)綾踊,(g)つくりもの風流,(h)仮装風流,(i)練り風流,(4)祝福芸 (a)来訪神,(b)千秋万歳(せんずまんざい),(c)語り物(幸若舞(こうわかまい)・題目立(だいもくたて)),(5)外来脈 (a)伎楽・獅子舞,(b)舞楽,(c)延年,(d)二十五菩薩来迎会,(e)鬼舞・仏舞,(f)散楽(さんがく)(猿楽),(g)能・狂言,(h)人形芝居,(i)歌舞伎(《図録日本の芸能》所収)。 以上,日本の民俗芸能を網羅・通観しての適切な分類だが,ここではこれを基本に踏まえながら,多少の整理を加えつつ歴史的な解説を行ってみる。…

※「風流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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