風刺画(読み)フウシガ

デジタル大辞泉 「風刺画」の意味・読み・例文・類語

ふうし‐が〔‐グワ〕【風刺画】

社会や人物の風刺を目的とした絵画。カリカチュア

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改訂新版 世界大百科事典 「風刺画」の意味・わかりやすい解説

風刺画 (ふうしが)

画家がその対象(特定個人,職業,階級,社会の風習,政治的事件,著名な物語や寓話など)を風刺するために,意図的に誇張,逸脱したり,グロテスク化することなく,むしろ客観的に観察し,リアルに表現した作品。一般にはカリカチュア(対象の特徴や欠陥を極端にゆがめて嘲笑する戯画)と同義に解されがちだが,厳密にいうと風刺画にはカリカチュアの手法が用いられる場合とそうでない場合とがある。ここでは後者の作例について述べ,前者については〈カリカチュア〉の項目を参照されたい。

 カリカチュアは一見して戯画とわかるが,風刺画はその主題や内容を理解しないと,必ずしも風刺の意図が明白ではない。つまり単なる風刺のための風刺というよりは,多分に教訓的な要素を色濃くもち,ときには寓意表現(アレゴリー)が使用されている。いずれにせよ,画家は自己の政治的信念ないしイデオロギー,宗教観,道徳観を主張するために,その対象を批判,非難したり,諧謔(かいぎやく)を弄したりするのである。ただし,風刺画,とくに風刺版画は,独立したジャンルとして描かれることもあるが,宗教画,歴史画,多くは風俗画においてその機能を発揮するのが特色で,人物(肖像)画,静物画,風景画といった絵画のジャンルと必ずしも同列には論じられない。

神学関係の著述,キリスト教正典のテキスト,文学や歴史的物語などの中世写本には,その余白に人物や動物のモティーフが自由奔放に描かれることがある。それらは本文を補う意味の図像もあるが,ときにはそれとはまったく関係のない滑稽で笑いを誘うような漫画,対象を揶揄(やゆ)し,道化化した戯画がみられる。たとえば,修道士が糸巻棒でふいごを操れば,それに合わせて人妻が踊る,といった2人の仲を揶揄した作例(図1)がそれである。また中世後期のボスは祭壇画《乾草の車》で,乾草の車に執着する随行員として,教皇,司教,王,貴族,下位聖職者だけでなく,市民や農民などあらゆる階級を描くことで,人間の心に潜む〈貪欲〉を暴き出している。

 ルネサンス期ドイツでは,L.クラーナハが《不似合いなカップル》(図2)のテーマを量産し,老人とその財産目当ての若い娘との不自然な組合せを描き,当時の堕落した社会風俗を批判している。なお彼の工房はルターのために13対の木版画連作《キリストの受難とアンチキリスト》を制作したが,その一組には〈神殿から商人を追い払うキリスト〉に対し,〈教皇庁で王や高位聖職者から金を受け取る教皇〉を描いた。つまり,彼らに赦免,免罪符,司教座,封土を売りさばく〈貪欲〉な教皇を風刺しているのである。ドイツ,ことにニュルンベルクでは一枚刷りの民衆版画が大量に発行され,人気を博したが,その中には無名版画家の風刺版画も少なくなかった。たとえば《狐の尻尾店》(図3)には,上位者への贈賄や阿諛(あゆ)を必要とする階級への痛烈な風刺が見られる。イタリアの民衆版画《さかさまの世界》では,羊が羊飼いの髪を刈り,荷車の後から牛が歩くといった寓意表現によって,人間の〈無知〉や〈愚行〉を風刺している。フランドルではP.ブリューゲル(父)が《怠け者の天国》(図4)で,書記(知識人),兵士,農民(労働者)など人間社会の代表的階級を描きつつ,人間だれもがもつ〈怠惰心〉と〈空想のユートピア〉を風刺した。

 〈風俗画の世紀〉とよばれる17世紀のオランダ絵画では,画家は日常生活の営みに見いだせる矛盾,誤謬(ごびゆう),悪習を追求する。ヤン・ステーンは《肥った台所》(図5)で,〈そのように親が歌えば,子どもは笛を吹く〉というネーデルラントの諺を思わす,酒びたりの親とそれを模倣する男の子をコミカルに描く。それと同時に,乱雑な部屋や怠惰な飽食人間をも風刺している。18世紀には,イギリスの画家W.ホガースが連作《当世風結婚》で,没落した上流階級と成金の中産階級の子弟同士の結婚とその転落を描き,当時の契約結婚の悲劇を世に訴えた。その中で成金の市参事会員の娘が一夜で貴婦人となり,フランス風ファッションを誇るが,ホガースは当時の上流階級のフランス文化への偏愛をも揶揄している。なおホガースはまた版画《性格と戯画Characters and Caricaturas》(図6)で,自然の正しい模倣から生まれた性格描写(ラファエロ,ホガース)と戯画(ゲッツィ,カラッチ,レオナルド・ダ・ビンチ)との相違を図例で示した。これによって戯画とは気ままで放縦な遊びの絵画であり,真の芸術ではないと表明した。スペインの画家ゴヤは版画集《ロス・カプリーチョス(気まぐれ)》(1799)の中で,カリカチュアとそれによらない風刺画を組み合わせているが,全体として人間の無知,それに発する迷信,偏見,種々の悪徳,誤った教育,上流階級の傲慢さなどを鋭く暴露している(図7)。さらに死後発表された版画集《戦争の惨禍》で,ゴヤは単にナポレオン軍のスペイン侵略の記録というだけでなく,政治的迫害や腐敗した政府の破局への激昂を風刺版画に吐露した。19世紀のフランスの画家H.ドーミエは週刊誌《カリカチュール》や新聞《シャリバリ》で彼の憎悪する国王,政治家,軍人,法曹界(図8)への風刺の手を休めず,読者の喝采を浴びた。当局の検閲が厳しくなると風俗版画(《青鞜運動》など)に主力を置く。いずれもマス・コミを通じ,彼自身の辛辣(しんらつ)な題辞つきの風刺画で大衆に訴えたのである。優れた人間観察とヒューマニズム精神により,ドーミエは従来の戯画と風刺画を超えた新しい次元の風刺芸術の世界を築いた。19世紀末,ベルギーのJ.アンソールは群衆の存在を奇怪な仮面によって描写することで,彼の芸術を拒否する美術界を風刺している。

 20世紀になり,ベルリン・ダダの中心人物G.グロッスは第1次大戦後,反軍国主義,反資本主義の思想を表明するために,〈政治的,破壊的な風刺〉に奉仕した。彼と共同制作をしたこともあるJ.ハートフィールドはフォトモンタージュモンタージュ)という武器によって,社会の不正やナチスの暴挙を告発し,第2次大戦後は東ドイツで活躍して,ブレヒトの戯曲などのために舞台意匠も手がけた。フランス出身のアンゲラーTomi Ungerer(1931- )は絵本の制作や文筆のかたわら,素描家としてセックス・マシンと戯れる女性たちによって〈愛の不毛時代〉をユーモラスに描く。同世代アイスランドのエロErro(1932- )は,《自動車の墓場》《飛行機の墓場》により物質文明へのアイロニーを,《アメリカン・インテリア》によりベトナム戦争の矛盾を突いた。このように現代の芸術家の風刺には毒のこもった体制批判,文明批判が色濃い。他方,20世紀は新聞,雑誌などジャーナリズムの分野に政治・風俗漫画や戯画を寄稿するプロフェッショナルなカートゥーニストcartoonist(《ニューヨーカー》へのS. スタインバーグなど)の時代であることも特記すべきであろう。
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前近代の日本において〈風刺画〉というジャンルを設定することは困難だが,滑稽・風刺を含んだ戯画の歴史は古くから日本美術の底流としてあった。古代では,正倉院に伝わる写経の片すみに描かれた〈大大論〉と書き入れのある人物のカリカチュアがよく知られている。こうした身近な人物の特徴をとらえた戯画は天平期の落書(らくがき)(文書の余白や紙背,建築の目だたぬ部分に描かれる)に最も多いモティーフであった。法隆寺金堂の天井板や唐招提寺金堂の梵天像台座に隠されていた落書には,人物にまじって性器や性交場面の描写も見られて興味深い。また同梵天像に見られる蛙のおどけた姿は,平安末の《鳥獣戯画》に登場する鬼や蛙の像の祖型といえないこともない。《今昔物語集》に語のみえる〈嗚呼絵(おこえ)〉は,見る者を〈可咲(おかし)〉の感興にさそう機知あふれた絵画遊戯であり,《鳥獣戯画》や《信貴山縁起》にもつながるものがあるといわれている。また〈嗚呼終〉の諧謔精神は,《地獄草紙》《餓鬼草紙》《病草紙》といった六道絵の深刻な題材にまで及んでいる。その誇張されたおぞましい描写の中には,意識されたユーモアが明らかに認められるのである。戯画的要素は中世の絵巻物の中にも包含され,室町時代の御伽草子では,滑稽・風刺が一つの重要なモティーフとなった。《福富草紙》はその好例である。また鎌倉時代に流行した似絵(にせえ)が戯画であるとする説もある。近世に入ると多くの画家が戯画を手がけた。岩佐又兵衛や雛屋立圃(ひなやりゆうほ)の歌仙絵は,中世の歌仙絵のパロディであり,英一蝶(はなぶさいつちよう)の《見立業平涅槃図》のような見立絵も浮世絵師などが好んで制作した(見立て)。また,鳥羽絵の流行,蕪村,呉春らの俳画,白隠,仙崖の飄逸な禅画,葛飾北斎の《北斎漫画》,歌川国芳のだまし絵など笑いと風刺の内容は幅と深みを増していった。

 明治以後,〈西洋画〉の摂取そのものを急いだ日本では,タブローとしての絵画の中に諧謔や風刺をこめることは,長く行われなかった。しかし,明治初期に来日したC.ワーグマンやG.ビゴーらの影響もあって,近代的な戯画,漫画が発達した。《団々(まるまる)珍聞》の本多錦吉郎(きんきちろう),小林清親らの時事漫画がそれであり,明治中期から1930年代にかけての長原止水の活躍,北沢楽天による《東京パック》の創刊とつづき,大正期以降は新聞漫画を中心に展開されてゆく。
イラストレーション →風刺 →漫画
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「風刺画」の意味・わかりやすい解説

風刺画
ふうしが

漫画の一分野。漫画をあえて定義すると、「風刺」の要素あるいは「遊び」の要素を含んだ絵画といえる。両要素がバランスよく含まれた絵画は漫画として非常におもしろい。「遊び」の要素の強いものは一般的に戯画とよばれ、同様に「風刺」の要素の強いものは風刺画とよばれる。

 人間社会には不合理や矛盾が満ちあふれているから、それに対して反発する気持ちはだれにでもある。そうした抵抗心・批判精神を絵として表現したものが風刺画である。したがって風刺の対象とするものは人間であり、事物や動物などを使って風刺するものも、その裏に人間批判が隠されている。風刺画は、人間性そのものを風刺するものから、仲間や周囲の社会を風刺するもの、さらには一国の最高権力者を風刺するものまで、幅が広い。

 人間が絵を描くことを知った時点から風刺画は存在したと思われる。土や砂の上に他人の容姿の欠点を誇張して描く風刺画などは当然存在したであろう。紙、筆、墨、顔料などが発明されてからは風刺画は無数に描き出された。古代のものでは、ギリシアの壺(つぼ)、水差し、甕(かめ)などに描かれた飾り画や、京都・高山寺(こうざんじ)の『鳥獣人物戯画』などがある。さらに木版画、銅版画などの版画技術が発達してくると、不特定多数の人々に見せることを目的として描かれるようになる。江戸中期の「鳥羽(とば)絵本」、17世紀以後のカロ、ホガース、ローランドソン、ゴヤらの作品がその例である。

 風刺画の歴史に革命をもたらしたのは18世紀末の石版画技術の発明である。そのスピーディーで大量に制作できる特性によって、ジャーナリズムのなかに風刺画が登場してくる。新たに時局問題をテーマにして政治的主張や教育宣伝的内容を盛り込むようになる。パリ・コミューン期の風刺画使用の宣伝戦はよく知られており、その精神は今日でも漫画の主要な機能として生き続けている。

 なお、「風刺画」とカリカチュアと同一視する主張もあるが、「カリカチュア」は戯画・風刺画の両要素を含む「漫画」に近いことばだといえる。

[清水 勲]

『M・ホジャート著、山田恒人訳『諷刺の芸術』(1970・平凡社)』『須山計一著『抵抗の画家』(1971・造形社)』『清水勲著『嘲笑絵わらいえ世界への旅――諷刺の漫画館』(1982・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「風刺画」の意味・わかりやすい解説

風刺画
ふうしが

カリカチュア」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の風刺画の言及

【カリカチュア】より

…対象の特徴を鮮明に示すために誇張・省略された形,あるいは本来の意味から逸脱して利用された形をもつ絵画(まれに彫刻)。戯画,漫画,場合によっては風刺画と呼ばれる。諧謔(かいぎやく)や風刺を目的とする点で,表現主義芸術や図式化・単純化された形,あるいは信仰や神話に関連する人獣合体した異様な姿などとは区別される。…

【カルトン】より

…英語では,この種の絵画用下図をカートゥーンcartoonと呼び,一方の厚紙の意味でのみ用いられるカートンcartonと区別する。(3)英語のcartoonは,さらに時代が下って風刺画や漫画の意味を持つにいたるが,そのわけは次のごとくである。ロンドンの新国会議事堂を飾るフレスコ壁画のcartoonのコンペが行われ,その応募作品の展覧会が,1843年にウェストミンスター・ホールで開かれた際に,この催しを風刺する漫画(ジョン・リーチ作)が雑誌《パンチ》に掲載され,それ以来,漫画のことがcartoonと呼ばれるようになる。…

※「風刺画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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