顔見世(読み)かおみせ

改訂新版 世界大百科事典 「顔見世」の意味・わかりやすい解説

顔見世 (かおみせ)

劇場年中行事の一つ。江戸期に劇場は毎年11月(京坂では宝暦ころから12月)に俳優の新しい顔ぶれによる座組で開場されたが,その最初の興行をいう。1年のうち最も重大な興行であった。江戸では新座組が定まり,10月17日の夜〈寄初(よりぞめ)〉の式が,楽屋3階または芝居茶屋の2階で開かれた。中には同じ座に居すわる役者もあり,これを〈重年(ちようねん)〉〈居なり〉と称えた。俳優の振りわけは江戸三座の太夫元,金主らが列席しての談合で定められ,場合によってはくじ引きできめられた。これを〈割取り〉という。寄初は役者の移動にともなって留場(とめば)・仕切場(しきりば)という劇場従業員らの送迎があり,劇場前には盛り場から贈った酒樽やせいろうなどが積まれて景気をあおり,芝居茶屋では見世先にひいきから役者へ贈った引幕の箱を飾るなどして,これらを見物する群衆で芝居町はにぎわった。上方から下ってくる役者,江戸から上る役者もこの機会に入座することが通例で,これを迎える〈乗込み〉の式が月末にあり,11月1日は太夫元をはじめ劇場関係者は,裃または羽織袴で訪れあい祝儀を述べ,3日間は芝居国の正月として雑煮を祝うなどした。11月に演じられる特殊な狂言を〈顔見世狂言〉,そのおりに発行される番付を〈顔見世番付〉と称した。初日は江戸では11月1日が通例で,観客は前夜から徹夜で入場した。初日から3日間は,明け六つ(6時)ころに〈翁渡(おきなわた)し〉の式を行った。役者の給金は顔見世に年額の3分の1を渡す慣習であった。興行は12月10日前後に舞い納めた。最終日には〈そそり狂言〉が出,舞納の口上,春狂言の名題・役割を披露し,めでたく手打(てうち)を行った。上方では京坂ともにそれぞれ異なった風習があり,〈座付(ざつき)引合せ〉(座本をはじめ,子役,若衆方,娘方,若女方,立役等を紹介する口上)を中心とした行事であった。大坂では観劇団体(大手・笹瀬など)からの贈り物が劇場表に飾られた。顔見世の行事は,江戸ではすでに幕末期に廃絶,近年の東京顔見世興行とうたわれているものは,本来の意味合いからはかけ離れたものである。大坂では観客の進物と手打のみ明治期まで存続したが,現在では京都南座の12月を顔見世興行とし,年1度の大きな興行を行う形で,わずかにそのおもかげを残し,行事としては絶えた。

江戸・京坂において〈顔見世〉興行に演じた特殊な狂言をとくに〈顔見世狂言〉という。江戸では9月12日にその座の立作者の原案にもとづき〈世界定〉が行われた。〈世界〉とは,狂言の背景をなす時代をいい,顔見世狂言には〈御位(みくらい)争いの世界〉(業平,行平),〈前太平記の世界〉(頼光四天王),〈奥州攻めの世界〉(八幡太郎,貞任),〈鉢木の世界〉(鎌倉時代),〈東山の世界〉(不破,名古屋),〈出世奴の世界〉(秀吉)などで,その一つが選定されて脚色される。1日の狂言は一番目(時代物)と二番目(世話物)に分けられ,一番目三建目(序幕)は必ず神社の回廊に場面をとり,《暫(しばらく)》や《だんまり》を演じ,四建目(二幕目)には必ず舞踊劇(《関の扉》《戻駕》などはその範疇に入る)を,また大詰には金襖(きんぶすま)の御殿を,さらに二番目序幕は裏長屋などの陋屋で雪降りの場を出すなど,さまざまな約束があり,自由な作劇は許されなかった。京坂の顔見世狂言は3幕と定まっていて,徹夜興行のため,客を飽かせぬよう他愛ないメルヘン的な仕組みで,とっぴな趣向が盛りこまれ,仇討やお家騒動をからめて作劇された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「顔見世」の意味・わかりやすい解説

顔見世
かおみせ

歌舞伎(かぶき)年中行事の一つ。江戸時代には、毎年11月1日から12月10日ごろまで行われた興行の称。古くは「面見世(つらみせ)」ともいい、万治(まんじ)・寛文(かんぶん)(1658~73)ごろから始まった。江戸時代、興行主が俳優を雇用する契約期間は1年で、11月から翌年10月までと定めていた。11月は各座とも初めて新年度のメンバーで興行し、文字どおり観客に新しい座組を見せる機会であった。狂言作者も同時に入れ替わる。もっとも、「重年(ちょうねん)」「居(い)なり」といって、引き続いて同じ座に所属する作者、俳優もあった。新座組は「顔見世番付」によって公表される。顔見世は、芝居社会では正月に相当するもっとも重要な行事として重んじられた。内部では慣習に基づいて早くから準備にとりかかり、さまざまの儀式を行った。また、劇場の正面には大小さまざまな看板、提灯(ちょうちん)、作り物などを飾り、ひいきから贈られた酒樽(さかだる)、米俵、蒸籠(せいろう)などの積物(つみもの)を高く積み上げた。芝居茶屋も、屋根の庇(ひさし)の上に趣向を凝らした作り物を飾り、華やかな雰囲気を盛り上げた。顔見世は芝居町全体をあげてのお祭りであった。

 顔見世の興行に上演する狂言を「顔見世狂言」と名づけ、いろいろの約束を守って創作された。江戸の例で記すと、1日の狂言を一番目と二番目に分け、一番目を時代物、二番目を世話物とする。この両者は同じ「世界」のなかで扱い、筋も連絡がなければならない。一番目にはかならず「暫(しばらく)」か「だんまり」、舞踊劇の場面が含まれ、二番目の序幕は雪降りの世話場であることが原則であった。最後に、時代物の筋における役名を現し、時代様式の大見得(おおみえ)で終わる。上方(かみがた)の顔見世狂言は3幕と定められ、おとぎ話的な筋に仇討(あだうち)や御家騒動を絡ませたもので、舞踊劇はなかった。江戸・上方とも総体に見せ場中心につくられるため筋の展開は散漫で、それぞれの役者の持ち味や芸を十分に発揮させることを目的にして制作されたものである。毎年正月に出版された役者評判記は、顔見世狂言でのそれぞれの持ち役を中心に評判してある。

 顔見世は江戸時代を通じて行われたが、俳優の個人的事情や劇場経営上の問題から、幕末には俳優の雇用原則が崩れ、それに伴って顔見世もその実質を失った。現在では興行政策の面から、京都・南座、東京・歌舞伎座、名古屋・御園(みその)座で毎年1回顔見世興行と銘打ち、華やかな特別興行が行われている。

[服部幸雄]


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百科事典マイペディア 「顔見世」の意味・わかりやすい解説

顔見世【かおみせ】

歌舞伎の興行用語。江戸時代,各劇場が毎年11月から1年契約で俳優を雇う制度だったとき,新契約の俳優を披露する11月興行のこと。江戸中期〜幕末まで劇界最大の行事として続いた。明治以後この制度はすたれたが,名のみ残り,京都南座では毎年12月,さらに東京歌舞伎座でも11月を顔見世と称し,人気俳優を大勢集めた興行を行っている。
→関連項目番付

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とっさの日本語便利帳 「顔見世」の解説

顔見世

歌舞伎の一座がそろって客の前に出ること。江戸時代、翌年の興行に出演する役者の顔ぶれをそろえて行う芝居を顔見世狂言といったことから。京都南座のそれは、東西役者の顔合わせの意。

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