音韻論(読み)オンインロン

デジタル大辞泉 「音韻論」の意味・読み・例文・類語

おんいん‐ろん〔オンヰン‐〕【音韻論】

phonology言語学の一部門。言語のアクセントなどをも含む)を記述し、その歴史的変化の過程、そこにみられる原則を研究する学問。また、ある言語の言語音音素という単位に抽象して、その構造や体系を記述する共時論的研究についても用いられる。→音素論おんそろん

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精選版 日本国語大辞典 「音韻論」の意味・読み・例文・類語

おんいん‐ろん オンヰン‥【音韻論】

〘名〙 (phonology Phonologie の訳語) 言語学の一部門。言語ことに単語を構成する要素として音声を扱う。ある言語や方言の言語音を音素という単位に抽象して、その構造や体系を記述したり、また文や単語を具体的な音声に変換するのに必要な規則を研究したりする。音韻学音素論。→音素

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改訂新版 世界大百科事典 「音韻論」の意味・わかりやすい解説

音韻論 (おんいんろん)

音韻は言語音声から意識された要素として抽出された最小の単位で,フォネームphonemeの訳語として音素と同じ意味に用いられることが多い。音素は音声の最小単位たる単音に対応する分節音素と強弱や高低アクセントのように単音に対応しない超分節音素に分けられるが,このうち分節音素に限り音韻と呼ぶこともある。また中国では昔から,漢字の字音を構成する単位を音韻と称し,音韻学と呼ばれる言語音に関する学問が行われていた。

 音韻もしくは音素を分析する部門を音韻論という。この場合,ヨーロッパ系のものを音韻論phonology,アメリカ系のものを音素論phonemicsと区別することもある。

ヨーロッパ系の音韻論では1930年代よりプラハ言語学派の音韻理論が中心をなしていて,音素の設定と,音素の体系を扱っている。音素の設定は,ある言語において意味を区別する働きのある音声的相違すなわち音韻的対立に基づく。英語のpitcher[pitʃə]〈投手〉とcatcher[kætʃə]〈捕手〉という語の意味を区別しているのは[pi-]と[kæ-]という音声部分である。したがって,これらは音韻的対立をなす。さらに[pi-]であるが,pin[pin]〈ピン〉とbin[bin]〈貯蔵箱〉の対立から[p]と[b]という対立要素が取り出される。これらはより小さな連続的単位に分解できないから音素と認定される。

 音素の体系では音素を音声特徴に分解する。いまpen[pen]〈ペン〉とmen[men]〈人々〉の対立から音素/m/(/ /は音素であることを示す記号)を認めた上で,音素/p//b//m/を構成している弁別的素性を調べてみると,/p/無声(〈こえ〉なし)・両唇・閉鎖・口音,/b/有声(〈こえ〉あり)・両唇・閉鎖・口音(鼻腔共鳴なし),/m/有声・両唇・閉鎖・鼻音(鼻腔共鳴あり)と分析される。これら両唇閉鎖音のうち,/p/と/b/の対立の根源は声帯振動による〈こえ〉があるかないかに帰着する。そこで〈こえ〉の標識をもつ/b/を有標項marked,もたない/p/を無標項unmarkedと呼ぶ。二つの音素がその弁別的素性を共有していて,ある素性の有無によってのみ区別される場合をN.S.トルベツコイは欠如的対立と名づけている。同じく鼻腔共鳴をもつ有標項の/m/と,もたない無標項の/b/も欠如的対立をなす。同様の関係が歯茎音の/t/-/d/-/n/と軟口蓋音の/k/-/ɡ/-/ŋ/の間にも成立する。そこで,〈こえ〉と鼻腔共鳴の標識により同一の調音点をもつ音素群を組み合わせると、次のような音素体系が取り出される。



ただし,欠如的対立は位置によりその効力を失うことがある。/spin/〈つむぐ〉に対し/sbin/(は措定形であることを示す)という対立はないので,/s/音の後では/p/と/b/はこえの対立をなさない。これを中和neutralizationと称する。さらにR.ヤコブソンは弁別的素性を調音的でなく音響的特徴により記述しようと試みた。彼はスペクトログラムに現れる第1と第2フォルマントの距離の広いものを散音,狭いものを密音とし,第2フォルマントの位置が高いものを鋭音,低いものを鈍音と定め,さらにフォルマントが明確に現れるものを母音的,騒音の影をもつものを子音的と名づけている。そして,このような音響による弁別的素性の12の対立の集合を設定し,世界中の言語に現れるすべての音素は,これらの集合のうちいくつかの対立素性が組み合わさったものであると主張した。例えば,非円唇前舌高母音/i/は〈母音性・非子音性・散音性・鋭音性〉という素性の束と見なされる。いま/i/の含んでいる鋭音性を鈍音性に変えれば母音/u/が生じる。日本語の/u/はこれに非円唇の音響的特徴をなす非変音性が加わり具体的な母音[]となる。このように音素が音声として実現したものを異音という。

アメリカではアメリカ・インディアンの言語を調査するにあたり,異質の未開言語を表記するための客観的方法を確立する必要に迫られ,そこで音素の研究が推進された。音素論は,最小対立と,相補的分布の原則に立脚している。pill[phil](hは有気音であることを示す補助記号)〈丸薬〉とkill[khil]〈殺す〉という語の音声現象はいずれも[-il]という同一の音声環境に立っていて,語頭の音声部分を置き換えると意味が変わってくる。この場合二つの語は最小対立minimal pair contrastをなすとし,異なる音声部分[p]と[k]を置換することにより音素/p/と/k/が取り出される。またpaper[phéipə]〈紙〉にあっては語頭の[ph]は有気音であるが,語中の[p]は無気音である。ここでは強勢母音[éi]をはさんで,前に立つ有気音[ph]とその後にくる無気音[p]は相補う位置に分布している。このように相補的分布complementary distributionをなす類似した音声は同一音素/p/の位置異音と見なされる。また,強さや高さアクセントおよび音素と発話の結びつき方を表す連接のような超分節音にも音素としての機能を認めている。例えば,英語の名詞increase/ínkríys/〈増加〉と動詞のincrease/inkríys/〈増加する〉や日本語の雨[ame](は高低アクセントを示す補助記号)と飴[ame]の対立。an aim/ən+eym/〈ある目的〉に見られる内部連接/+/などである。次に音素配列論では音素の結合を記述する。英語の語頭ではplay〈遊ぶ〉,pray〈祈る〉のように/pl-//pr-/という子音の結合は許されるのに,/tl-//sr-/のような結合は存在しない。

最近,研究が進展したものに生成音韻論generative phonologyがある。1960年代よりN.チョムスキーは変形生成文法において,基底構造から変形規則により表層構造を派生させる方式を提唱してきた。このため音素なるものを否定し,基底表示を設定しておいて,これに音韻規則を適用して音声表示を導き出そうとしている。これにより語彙の派生関係やアクセントの位置を説明できるとしている。例えばdivine〈神聖な〉の基底表示を/divīn/とし,二重母音化の規則によりī→ayに変えて[divayn]という形を生み出す。一方名詞化語尾-ityの前では短母音化の規則によりī→iに変えて[diviniti]を派生させる。また有標性markednessを利用し,舌先を用いる/t/を無標,舌先を用いない/p/と/k/を有標とし,口の前方で発する/p/と/t/を無標,後方で調音される/k/を有標と定め,有標の数が多いほど複雑であると考えた。したがって,子音では/t/が最も自然で,/p/と/k/はやや難易度が高いことになる。こうした分析の結果は幼児の言語習得や世界中の言語に見られる普遍的傾向に照らしてみる必要がある。
音声学 →言語学
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「音韻論」の意味・わかりやすい解説

音韻論
おんいんろん
phonology

音素について研究する言語学の一部門で、アメリカ言語学では音素論phonemicsとよぶ。音韻論では、(1)音素の設定、(2)音素の体系、(3)音素の結合などが取り扱われる。

(1)音素の設定。カク[kakɯ]とタク[takɯ]という語の意味の区別は、[―akɯ]という同じ音声環境に現れる音声部分[k]と[t]の相違によっている。これらの音は、より小さな連続した音声単位に分解できないから、音素である。このように、一つの音素を除いて、他の部分が同じであるような語の組を最小対立という。最小対立を捜し出すことにより、音素を取り出すことができる。サク[sakɯ]、ナク[nakɯ]、ハク[hakɯ]、マク[makɯ]、ヤク[jakɯ]、ラク[rakɯ]、ワク[wakɯ]から、音素 /s,n,h,m,j,r,w/ が求められる。ところが、キク[kikɯ]とシク[ʃikɯ]の最小対立から、音素 /k/ と /ʃ/ が得られる。さて、[s]と[ʃ]であるが、[s]のほうはサスセソの母音[a,ɯ,e,o]と結び付くのに、[ʃ]のほうは残りの母音[i]の前にだけ現れる。これを相補的分布という。相補的分布をなす類似した音声は、同一の音素に帰属するとされる。したがって、歯茎音[s]と硬口蓋(こうがい)歯茎音[ʃ]はともに無声の歯擦音であり、相補的分布をなすから、同一音素 /s/ の異音とみなされる。このように音素が具体的音声の形をとったものを異音という。

(2)音素の体系。母音 /a/ は口の開きが大きく、聞こえが大である。母音 /i/ と /u/ は口の開きが狭く、聞こえは小さい。/i/ では舌が硬口蓋へ向かって上がるので、口の中が二分され、口腔(こうこう)に二つの小さな共鳴室ができる。このため鋭い音となる。これに対し /u/ では、舌が奥へ退き、口腔内に長い共鳴室がつくられるので、鈍い音が出る。子音 /k/ での口の開きは、子音 /t/ , /p/ に比べると、広く、聞こえも大となる。子音 /t/ では、歯茎に舌が接し、口腔内が二分されるので、鋭い音をたてるが、子音 /p/ では、唇を閉じるだけで、その奥に長い口腔の共鳴室ができる。このため鈍い音を発する。いま、聞こえの小さい音を上に、大の音を下にし、鋭音を左に、鈍音を右に置けば、

のような音素の体系を取り出すことができる。すなわち、基本的母音 /a,i,u/ と基本的子音 /p,t,k/ は、同じように三角の体系を組むことがわかる。

(3)音素の結合。英語のplay[plei]「遊ぶ」、clay[klei]「粘土」のような語には、/pl-/ と /kl-/ という語頭の子音結合が現れるのに、/tl-/ という結び付きはない。日本語のワの子音 /w/ は、母音 /a/ の前にしかこない。このように音素の現れる位置や音素相互の結合の仕方には、ある制限がみられる。この制限は言語により異なる。

(4)韻律的特徴。音の強さ、高さ、長さを韻律的特徴という。英語のincrease[ínkri:s]「増加」と[inkrí:s]「増加する」では、強さアクセントの位置により意味が変わる。日本語のカ「赤」とア「垢」では、高さアクセントの位置により意味が異なる。また、キタ[kita]とキイタ[ki:ta]は別な語である。語の意味を区別する音の強さ、高さ、長さの違いのなかにも、音素としての働きをみることができる。

(5)最近の生成音韻論は、音素を否定し、そのかわりに基底形をたて、これに音韻規則をかけて派生形を導く方式を考えている。たとえば、/divīn/ という基底形を設定し、名詞語尾-ityがくれば、ī→iとしてdivinity[diviniti]「神性」となり、語尾をとらなければ、ī→ai としてdivine[divain]「神の」が導き出されると説明する。

[小泉 保]

『ヨーアンセン著、林栄一監訳『音韻論総覧』(1979・大修館書店)』

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百科事典マイペディア 「音韻論」の意味・わかりやすい解説

音韻論【おんいんろん】

言語学の一部門。ある言語の音素の数,それらの結合の仕方,機能,体系などを扱う。普通は共時論的研究を対象とし,歴史的な研究は音韻史,史的音韻論といわれている。音声学音韻学とは異なる。
→関連項目有坂秀世形態論言語学言語類型論文法モーラ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「音韻論」の意味・わかりやすい解説

音韻論
おんいんろん
phonology; phonemics

音声学的観察で確認した音声がどういう音韻的単位に該当し,そのような単位がいくつあり,いかなる体系・構造をなしており,いかなる機能を果しているかなどを研究する学問。音韻論的解釈には正確な音声学的観察が必要であり,逆に正しい音韻論的解釈により音声学的事実がよりよくみえてくることから,音声学と音韻論は補い合うものであるといえる。音韻的単位の最小のものは音素である。東京方言ではその音素が1つないし3つでモーラを形成し,モーラが1つないし3つで (音韻的) 音節を形成し,その音節 (連続) のうえにアクセント素がかぶさって形式の音形を構成している。音韻を音素の代りに使う人もいるが,音韻は以上の音韻的単位の総称としたほうがよい。この立場に立てば,音韻論 phonologyは音素論 phonemicsよりも広い概念で,少くともその他に音節構造論とアクセント論を含むことになる。音韻論にも,他の分野と同様,共時音韻論と史的音韻論 (音韻史) がある。また音声学と音韻論を総称して「音論」と呼ぶこともある。

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世界大百科事典(旧版)内の音韻論の言及

【形式言語】より

…その理由で,人工の言語であるプログラミング言語に深く関わることになる。自然言語の分析に関する学問には,音素とその結合を扱う音韻論phonology,音素結合あるいは語の形態を論ずる語形論morphology,文の構成規則を明らかにする構文論syntax,および文の意味を扱う意味論semanticsがある。これらのうち,構文論の分野で1956年ころ,アメリカの言語学者チョムスキーが構文規則に対して数学モデルを与えたことにより,言語が厳密に形式化されるにいたった。…

【言語学】より

…しかし,どの言語も人間の言語である限り一定の共通性を有しているはずであり,したがって,個々の言語の研究が人間言語一般の本質解明に寄与するわけであり,また,他の言語の研究成果,とりわけ他の言語の研究で有効であることがわかった方法論が別の言語の研究においてもプラスになるわけである。 個別言語の構造の研究は,言語そのものの有する三つの側面に応じて,〈音韻論〉〈文法論〉〈意味論〉に分けてよい。
[音韻論]
 音韻論的研究は,その言語がどのような音をどのように用いてその音的側面を構成しているかを研究する。…

【自然言語処理】より

…これを以下に記す。(1)音韻論 音素,アクセントなどから文字あるいは単語がどのように構成されるかについての理論であり,音声処理においては基礎となる。(2)形態論 文字から単語が構成される枠組みについての理論であり,日本語のベタ書きテキストから単語を切り出す形態素解析の基礎となる。…

【生成文法】より

…永い文法研究の歴史の中で,この発想はまことに斬新で画期的なものであり,以下に概観するその具体的な枠組みとともに,やがて多くの研究者の依拠するところとなり,これによって文法とくにシンタクスの研究は急速に深さと精緻さとを増して真に科学といえる段階を迎えたといってよい。最初期には意味を捨象して文の形だけに注目していたが,その後,意味と音を併せ備えたものとしての文の生成をめざすようになり,普通にいう文法(シンタクス,形態論)のほかに意味論音韻論も含めた包括的な体系を(しかもチョムスキーらは,言語使用者がそれを,自覚はしていなくとも〈知識〉(心理的実在)として備えていると見,その〈知識〉と〈それに関する理論〉の両義で)〈生成文法(理論)〉と呼んでいる。意味論や音韻論においても新生面を開いてきた。…

【トルベツコイ】より

…革命を逃れてロストフ大学,ソフィア大学に転じ,22年にはウィーン大学教授。プラハ言語学派の中心人物の一人で《音韻記述への手引Anleitung zu Phonologischen Beschreibungen》(1935),《音韻論要理Grundzüge der Phonologie》(1939)によりプラハ言語学派音韻論の方向を定めた。 1936年に学術誌に発表した論文《音韻対立のための理論の試み》の前後から〈対立〉をとらえる理論を模索し,これが晩年の理論課題となった。…

※「音韻論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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