韮山反射炉(読み)ニラヤマハンシャロ

デジタル大辞泉 「韮山反射炉」の意味・読み・例文・類語

にらやま‐はんしゃろ【韮山反射炉】

静岡県伊豆の国市にある反射炉跡。江戸時代末期の築造。稼働した反射炉として現存する、国内唯一の施設。大正11年(1922)国指定史跡。平成27年(2015)、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の名で、萩反射炉とともに世界遺産文化遺産)に登録された。

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日本歴史地名大系 「韮山反射炉」の解説

韮山反射炉
にらやまはんしやろ

[現在地名]韮山町中

鳴滝なるたきにある幕末に築造された反射炉。国指定史跡。一九世紀ヨーロッパにおいて高炉が発達し、銑鉄の大量生産が可能になると、銑鉄を溶融して大砲を鋳造するために反射炉が考案された。天保(一八三〇―四四)末年オランダより入った技術書により研究を進めた江川英龍は、肥前佐賀藩に技術供与しながら大反射炉建築の機会を待った。嘉永六年(一八五三)六月のペリー来航により品川しながわ台場(現東京都港区)築造が始まると、備砲製造が江戸湯島桜馬場ゆしまさくらばば(現東京都文京区の東京ドーム)において開始されたが、青銅砲のため幕府の財政を圧迫した。同年一二月幕府は英龍に反射炉築造を命じた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「韮山反射炉」の意味・わかりやすい解説

韮山反射炉
にらやまはんしゃろ

静岡県伊豆の国市にある,日本で唯一現存する実用反射炉。元治1(1864)年に幕府直営反射炉として役目を終えるまで,鉄製カノン砲や青銅製野砲などの西洋式大砲が多数鋳造された。幕末に列強諸国に対抗するための軍事力強化が課題となるなか,嘉永6(1853)年のマシュー・C.ペリー来航を受け,韮山代官江川英龍(江川太郎左衛門)の進言により品川台場(→御台場)に設置する鉄製砲を鋳造するための反射炉が築造されることになった。建設地は当初伊豆下田であったが,安政1(1854)年にペリー艦隊の水兵が工事中の敷地内に侵入したため,伊豆韮山(→韮山)に変更された。英龍の死後は息子の江川英敏によって築造が進められ,蘭書(→蘭学)に基づき西洋の先進的な技術を導入するとともに,すでに反射炉の操業に成功していた肥前藩の技術協力も得て安政4(1857)年に完成した。連双 2基 4炉からなり,炉は融解金属が一ヵ所に集まるよう直角に配置されている。炉体は内部が耐火煉瓦のアーチ積,外側が伊豆石の組積造(→組積式構造)。煙突は耐火煉瓦の組積で高さ約 15.7m。反射炉の周辺には製砲の各工程を担う炭置小屋,鍛冶小屋,隣接する河川から引いた水を動力とする錐台小屋などがある。国指定史跡。2015年「明治日本の産業革命遺産:製鉄・製鋼,造船,石炭産業」として世界遺産の文化遺産に登録された。

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国指定史跡ガイド 「韮山反射炉」の解説

にらやまはんしゃろ【韮山反射炉】


静岡県伊豆の国市中にある反射炉跡。江戸時代末期に、軍備の近代化と江戸防備のため砲数百門を鋳造したという耐火レンガ製の反射炉である。1853年(嘉永6)のペリー来航によって日本は外国の脅威にさらされ、江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍(ひでたつ)(太郎左衛門、号は坦庵(たんあん))に対して、幕府は江戸内湾への台場築造とともに反射炉の建造を許可した。しかし、ペリー来航以前から反射炉の研究を続けていた英龍でさえ、蘭書の記述だけを頼りに大規模な反射炉を建造するのは困難をきわめた。建設予定地は当初、下田港に近い賀茂郡本郷村だったが、下田に入港していたペリー艦隊の水兵が建設地に進入するという事件が起こり、反射炉建設地を韮山代官所に近い田方郡中村の現在地に移転することになった。反射炉はヒュゲニン著『ライク王立鉄大砲鋳造所における鋳造法』という蘭書に基づき、溶解炉を2つ備えた連双式を2基、直角に配置したもので、4つの溶解炉を同時に稼働させることができた。1855年(安政2)、英龍が反射炉の竣工を見ることなく病死してしまうと、後を継いだ長男の江川英敏は反射炉の建造を行っていた佐賀藩に応援を求め、技師の派遣を要請した。その結果、反射炉は1857年(安政4)、3年半の歳月をかけて完成した。完成した反射炉では、1864年(元治1)に使用中止となるまで数多くの鉄製砲が鋳造され、品川台場に28門配備された。現在は煙突と炉跡が残っており、近代鉄鋼業発祥のシンボルといえる。大砲鋳造所は高さ16mの煙突が4基、天井が耐火レンガのアーチ積みになっており、この湾曲によって熱と炎を反射させて鉄を溶解する仕組みだった。1922年(大正11)に国の史跡に指定された。伊豆箱根鉄道駿豆(すんず)線伊豆長岡駅から伊豆箱根バス「反射炉」下車、徒歩すぐ。

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百科事典マイペディア 「韮山反射炉」の意味・わかりやすい解説

韮山反射炉【にらやまはんしゃろ】

静岡県伊豆の国市ほぼ中央,伊豆長岡駅東方の山裾にある反射炉。長州の萩反射炉とともに,日本に現存する2ヵ所の反射炉のうちの1つ。江川英竜(江川太郎左衛門)により築造,1857年に完成。試験的に造られた萩反射炉と異なり,韮山反射炉では実際に鋼鉄製の大砲が製造されている。当時は周囲に工場群を併設した砲兵工廠であったが,現在は反射炉のみが残されている。2015年,〈明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業〉の構成資産の1つとして世界文化遺産に登録。

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