韓国統監府(読み)カンコクトウカンフ

デジタル大辞泉 「韓国統監府」の意味・読み・例文・類語

かんこく‐とうかんふ【韓国統監府】

統監府

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精選版 日本国語大辞典 「韓国統監府」の意味・読み・例文・類語

かんこく‐とうかんふ【韓国統監府】

〘名〙 明治三八年(一九〇五)第二次日韓協約に基づいて韓国に設置された日本の代表機関。併合朝鮮総督府に引き継がれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「韓国統監府」の意味・わかりやすい解説

韓国統監府
かんこくとうかんふ

1905年(明治38)の第二次日韓協約(乙巳(いっし)保護条約ともいう)に基づき、翌年2月1日に開設された日本の朝鮮統治機関。初代統監伊藤博文(ひろぶみ)。日露戦争に勝利した日本は、朝鮮を独占的に支配するためには、外交権の剥奪(はくだつ)が必要だと考えた。すでに桂(かつら)‐タフト協定(1905年7月)や第二次日英同盟(1905年8月)によって英米の支持を取り付けていた日本は、05年11月17日、朝鮮の外交権の完全な剥奪、韓国皇帝の下に統監を置くなどを内容とする第二次日韓協約を締結した。この条約に調印した朝鮮の5大臣は「乙巳の五賊」とよばれ、民衆の怒りの的となった。翌06年2月ソウルに統監府が開庁し、仁川(じんせん/インチョン)、釜山(ふざん/プサン)、元山(げんざん/ウォンサン)など重要な地には理事庁が置かれ、諸外国の外交機関は廃止され、外国公使はソウルを去った。統監は朝鮮の内政にも及ぶ広範な権限をもち、必要なときは朝鮮駐箚(ちゅうさつ)軍の使用を命ずることさえできる支配者であった。このときから朝鮮の植民地化は決定的となった。

[宮田節子]

『山辺健太郎著『日韓併合小史』(岩波新書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「韓国統監府」の意味・わかりやすい解説

韓国統監府 (かんこくとうかんふ)

1905年第2次日韓協約によって〈保護国〉にされた大韓帝国に対し,日本がその〈保護権〉を行使するために作った機関。同年12月に設置。本来,保護国とは対外的に独立国家ではなくなるが,内政面では一定の自主性をもつものとされた。ところが統監府は統監の指揮の下,各部局に日本人顧問を配し,韓国の内政を植民地的に再編成する併合準備機関となった(顧問政治)。07年からはさらに統監府の機能が強化され,日本人次官が韓国内政の全般を取り仕切るようになった(次官政治)。韓国政府は行政権,軍事権(1907),司法権(1909),警察権(1910)を次々に奪われ,まったく無力な形で併合の時を迎えた。歴代統監は伊藤博文,曾禰荒助寺内正毅の3名である。
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百科事典マイペディア 「韓国統監府」の意味・わかりやすい解説

韓国統監府【かんこくとうかんふ】

日韓併合前の日本の韓国(大韓帝国)支配機構。1905年第2次日韓協約により韓国を〈保護国〉とした日本が京城に設置。行政事務を総務・農商工・警務・外務に分掌。統監は韓国の外交権を掌握したうえ広範な文武兼備の権限をもって,いわゆる統監政治を行い,朝鮮の植民地化に努めた。初代統監は伊藤博文。1910年日韓併合とともに朝鮮総督府に改編。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「韓国統監府」の意味・わかりやすい解説

韓国統監府
かんこくとうかんふ

1905年 11月の日韓協約に基づき日本の被保護国となった韓国から委任された外交事務を遂行するため,従来の在韓公使館に代えて翌 12月設置 (明治 38年勅令 267号) ,その長として天皇に直隷する統監がおかれた。その後の新協約の締結により,韓国の内政改善の指導,司法権,警察権の委任を受けるなど逐次その権限が拡大されたが,10年の韓国併合による朝鮮総督府の設置 (明治 43年勅令 354号) に伴い廃止された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「韓国統監府」の解説

韓国統監府(かんこくとうかんふ)

統監府(とうかんふ)

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旺文社日本史事典 三訂版 「韓国統監府」の解説

韓国統監府
かんこくとうかんふ

統監府

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世界大百科事典(旧版)内の韓国統監府の言及

【伊藤博文】より

…また,野党化した政友会と桂内閣との利害対立が表面化し,伊藤が推進した妥協策はかえって党内の紛糾を増幅することになり,03年7月総裁を辞任して枢密院議長に就任した。続く開戦前の対露交渉から講和に至るまで日露戦争の全局面を元老の一人として最重要政策の決定に関与し,戦後の05年12月には新設の韓国統監府の初代統監となり,韓国の保護国化を進め,07年のハーグ密使事件を契機に皇帝を譲位させ,内政権を大幅に削減するとともに軍隊を解散した。しかし朝鮮民衆による義兵闘争は高まり,日本政府内にも併合の早期強行論が台頭する中で09年6月統監を辞任,枢密院議長に復帰した。…

※「韓国統監府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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