鞆淵八幡神社(読み)ともぶちはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「鞆淵八幡神社」の解説

鞆淵八幡神社
ともぶちはちまんじんじや

[現在地名]粉河町中鞆淵 中の組

真国まくに(鞆淵川)の北岸、八幡山南麓に鎮座する。祭神応神天皇仲哀天皇比売ひめ大神。旧県社。古くは山城石清水いわしみず八幡宮鞆淵荘の産土神。現在道路から石段を登ると杉の巨木に囲まれた社殿があり、社殿の右前下方に大日堂が建つ。草創は明らかでないが、石清水八幡宮の別宮として建立されたものと考えられる。「続風土記」は「安貞の頃荘司の先祖の妹に鶴千代姫といふあり、宮仕して帝の寵を蒙り、後故郷へ帰る時、八幡宮は元より産土神なれは、更に男山の祭式に象らしめ神輿を送らしめ給ふとなり、是より宮居益壮麗を尽せしなるへし」という伝えを記すが、安貞二年(一二二八)石清水八幡から同社の神輿(沃懸地螺鈿金銅装神輿)が送られており、国宝指定されている。そのときの同年八月一八日の神輿送進状案が残るが、それには、

<資料は省略されています>

とある。現存する神輿は藤原時代の繊細さを残す貴重なものである。

弘安二年(一二七九)一二月二一日の鞆淵園遷宮次第置文(鞆淵八幡神社文書)に「当社者、八幡三所権現別宮(也)(而)星霜多積、年月数累、甍既破(簾か)又朽、是以余所曳地改旧宮造新社、弘安二年十二月廿一日丑刻択時日、大宮三所内先中御前、次右御前、第□番左御前奉遷宮畢、其時神主吉包・大炊禰宜末元・若宮神主正清・権禰宜弘恒等奉舁入、其外神人等皆以御共、翌日若宮・高良・武内等御社者、不改本社所奉曳渡也」とあり、このとき遷宮が行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鞆淵八幡神社」の意味・わかりやすい解説

鞆淵八幡神社
ともぶちはちまんじんじゃ

和歌山県紀の川市にある石清水八幡宮の別宮。旧県社。祭神は応神天皇,仲哀天皇,姫大神。 11世紀初めまでに成立していたとされる鞆淵荘 (紀の川市鞆淵) にあり,荘園鞆淵薗とも呼ばれ,平安および鎌倉時代には石清水八幡宮の領地であった。その荘内の中央に勧請されたものがこの神社である。安貞2 (1228) 年に石清水より贈られた神輿は,当時の様式に近いもので,国宝に指定されている。なお,元弘3=正慶2 (1333) 年に後醍醐天皇によって,『御手院縁起』の四至内と位置づけられ,それ以降,高野山 (→金剛峯寺 ) に寄贈され,中世末まで高野山の支配を受けたという。本殿と大日堂は国指定重要文化財。例祭は 10月 15日。

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デジタル大辞泉プラス 「鞆淵八幡神社」の解説

鞆淵八幡神社

和歌山県紀の川市にある神社。“鞆淵”は「ともぶち」と読む。八幡山の南麓に位置する。創祀年代不詳。祭神は応神天皇、仲哀天皇、比売大神(ひめのおおかみ)。社殿、大御堂は国の重要文化財に指定。

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