青蓮院流(読み)しょうれんいんりゅう

精選版 日本国語大辞典 「青蓮院流」の意味・読み・例文・類語

しょうれんいん‐りゅう シャウレンヰンリウ【青蓮院流】

〘名〙 書道流派の一つ。青蓮院門跡尊円法親王のはじめたもの。小野道風藤原行成の書法に宋の書風を取り入れた力強く豊満な書体室町時代に起こり、江戸時代には朝廷幕府諸藩公文書制札などに用いられた。また、御家流(おいえりゅう)と呼ばれ、広く一般にも用いられた。尊円流

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デジタル大辞泉 「青蓮院流」の意味・読み・例文・類語

しょうれんいん‐りゅう〔シヤウレンヰンリウ〕【青×蓮院流】

和様書道の流派の一。伏見天皇皇子、青蓮院尊円法親王創始。流麗・平明な書体。江戸時代には御家流おいえりゅうと称され、朝廷・幕府などの公文書に用いられたほか、一般庶民にまで広く流布した。尊円流。粟田流粟田口流

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青蓮院流」の意味・わかりやすい解説

青蓮院流
しょうれんいんりゅう

南北朝時代(14世紀)青蓮院門跡(もんぜき)尊円(そんえん)法親王を祖としておこった書の流派。別名尊円流とも称し、また青蓮院が京都粟田口(あわたぐち)にあることから、粟田流、粟田口流ともいわれ、江戸時代には御家(おいえ)流の名もあった。わが国書道史・書流史上もっとも注目すべき流派である。尊円法親王の書風は、端正温雅な世尊寺(せそんじ)流に宋(そう)風の力強い筆法を加味した独自の境地を開いたもので、青蓮院の歴住たちの尊崇を集め、代々の門跡はこれに傾倒した。とりわけ、尊道(そんどう)法親王(1332―1403)、尊応准后(そんのうじゅんごう)(?―1514)、尊伝(そんでん)法親王(1472―1504)、尊鎮(そんちん)法親王(1504―1550)、尊朝(そんちょう)法親王(1552―1597)、尊純(そんじゅん)法親王(1591―1653)は能書で知られ、今日に遺墨を伝えている。また書流史では、その末流をさらに尊応流、尊鎮流、尊朝流、尊純流の4派に分け、これらを包含して青蓮院流とよぶ。その平明で高雅な書風は青蓮院のみにとどまらず、宮廷や貴族、他の寺院へと広まり、江戸時代には幕府の文教政策に伴い、御家流として武家階級や一般庶民にまで流布していった。筆跡の模刻本『本朝名公墨宝(ほんちょうめいこうぼくほう)』『和漢筆仙集(わかんひっせんしゅう)』などに尊円法親王以下の筆跡が所収され、加えて『慈恩寺法帖(ほうじょう)』(真跡本現存、個人蔵)などの手本が多数刊行されたことが普及の大きな要因となった。

[島谷弘幸]

『小松茂美著『日本書流全史』全二巻(1970・講談社)』

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百科事典マイペディア 「青蓮院流」の意味・わかりやすい解説

青蓮院流【しょうれんいんりゅう】

書道の一流派。鎌倉時代に青蓮院の門主尊円親王が創始したもので,尊円流,粟田流ともいう。強い筆力を秘めた豊満な書体で,代々の青蓮院門主に継承され,室町時代に流行。江戸時代には〈御家流〉と呼ばれ一般化したが,低俗に堕した。→
→関連項目近衛信尹入木道本阿弥光悦

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青蓮院流」の意味・わかりやすい解説

青蓮院流
しょうれんいんりゅう

鎌倉時代末の能書家,尊円親王を祖とする書の流派。親王が青蓮院門跡であったことと,書の様式が代々青蓮院門跡によって継承されたことからこの名がある。別に粟田口流ともいう。親王は初め世尊寺流を学び,さらに小野道風や宋の書風を研究して一風をなした。その整った書風は後世まで継承され,室町時代には和様の主流となり,江戸時代には幕府の公用書体となって御家流と呼ばれた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「青蓮院流」の解説

青蓮院流
しょうれんいんりゅう

御家流(おいえりゅう)

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