青山忠朝(読み)あおやま ただとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山忠朝」の解説

青山忠朝 あおやま-ただとも

1708-1760 江戸時代中期の大名
宝永5年7月16日生まれ。摂津尼崎(あまがさき)藩(兵庫県)藩主青山幸督(よしまさ)の次男青山俊春養子となり,享保(きょうほう)15年丹波亀山藩(京都府)藩主青山家3代。奏者番,寺社奉行をつとめたのち,寛延元年丹波篠山(ささやま)(兵庫県)5万石に転封(てんぽう)され,同藩主青山家初代となる。宝暦8年大坂城代。宝暦10年7月15日死去。53歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青山忠朝」の解説

青山忠朝 (あおやまただとも)

生年月日:1708年7月16日
江戸時代中期の大名
1760年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の青山忠朝の言及

【篠山藩】より

…1692年(元禄5)松平(形原)信庸は伊藤仁斎の弟子松崎蘭谷を登用して治績をあげた。1751年(宝暦1)には青山忠朝が漢学者関文平を招き,嗣子忠高は66年(明和3)藩校振徳堂を創設した。天明年間(1781‐89)忠裕によって養正斎,成始斎が増設され,化政期(1804‐30)になると文武両科の教科目が制定されるなど学問の面でみるべきものが多い。…

※「青山忠朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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