霧島神宮(読み)きりしまじんぐう

精選版 日本国語大辞典 「霧島神宮」の意味・読み・例文・類語

きりしま‐じんぐう【霧島神宮】

鹿児島県姶良(あいら)郡霧島町にある神社。旧官幣大社。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)など天孫降臨神話ゆかりのある神々七柱。古くは高千穂峰と火常峰の間にあったが、数度の噴火により奉遷、文明一六年(一四八四島津忠昌が現在地に再建した。

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デジタル大辞泉 「霧島神宮」の意味・読み・例文・類語

きりしま‐じんぐう【霧島神宮】

鹿児島県霧島市にある神社。旧官幣大社。主祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊あまつひたかひこほのににぎのみこと

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日本歴史地名大系 「霧島神宮」の解説

霧島神宮
きりしまじんぐう

[現在地名]霧島町田口

霧島連山南麓、南流する霧島川右岸にある。現在の主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊、木花開姫尊・彦火火出見尊・豊玉姫尊・草葺不合尊・玉依姫尊・神倭磐余彦尊を配祀する。旧官幣大社。旧称は西御在所にしございしよ霧島六所権現といい、これは霧島東御在所両所きりしまひがしございしよりようしよ権現社(現宮崎県高原町霧島東神社)に対する呼称であろう。西霧島社とも称された。霧島六所権現六社の一つで、もともとは「続日本後紀」承和四年(八三七)八月一日条に官社とされたことがみえる日向国の「諸県郡霧島岑神」、「三代実録」天安二年(八五八)一〇月二二日条に従四位下に列せられたことがみえる日向国「霧島神」を祀る祠で、「延喜式」神名帳には諸県もろかた郡の一座として小社の「霧嶋神社」がある。また当社は古くは高千穂たかちほ神社とよばれたとし、承和一〇年九月一九日に無位から従五位下に昇叙された日向国「高智保皇神」を(続日本後紀)、当社のこととする説もある(麑藩名勝考)。古代より山岳信仰の聖地であった。霧島が具体的に神祇信仰の対象となるのは、別当華林けりん寺の寺記によれば欽明天皇の時代に慶胤により霧島山が開かれ、当社および梵刹が建立されたという(三国名勝図会)。だが延暦七年(七八八)三月四日の「大隅国贈於郡曾乃峯」が噴火して峰の下五、六里に黒色の沙色が二尺ほど積ったといい(「続日本紀」同年七月四日条)、このため寺社は焼亡したという(三国名勝図会)。その後村上天皇の時代に性空(寛弘四年没)が霧島山に入り法華経読誦に専念修行、四年間の苦行ののち筑紫の背振せふり山に移ったと伝える(「今昔物語集」巻一二、「元亨釈書」など)。この間に性空により霧島山周囲に六所権現が建立され、また六観音が本地として祀られた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「霧島神宮」の意味・わかりやすい解説

霧島神宮
きりしまじんぐう

鹿児島県霧島市霧島田口(きりしまたぐち)に鎮座。天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)を主神とし、木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)、天津日高日子穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊(たまよりひめのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)を祀(まつ)っている。社伝によれば、当社の創建は欽明(きんめい)天皇の代という。『続(しょく)日本後紀』承和(じょうわ)4年(837)8月朔(ついたち)の条に、日向(ひゅうが)国諸県(もろかた)郡の霧嶋岑神が官社にあずかったとある。『三代実録』天安(てんあん)2年(858)10月22日条に、日向国霧島神に従(じゅ)四位下が授けられたと記されている。延喜(えんぎ)の制で小社に列せられた。鎌倉時代、霧島山の大噴火により社殿を焼失、のち、社殿を山の東にあたる長尾山に移し、東霧島神社と称した。1484年(文明16)島津忠昌(ただまさ)(1463―1508)はこの社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座(現在霧島東神社という)、西社が現在の霧島神宮である(本殿、幣殿、拝殿は国宝)。1874年(明治7)までは霧島神社と称され、薩摩(さつま)藩歴代の厚い尊崇と衆庶の崇敬が寄せられた。同年、霧島神宮と改め、官幣大社に列せられた。例祭は9月19日。旧暦1月1日には散籾祭(うちまきさい)、旧暦2月4日に御田植(おたうえ)祭、また春秋二度ずつ年4回の猿田彦命(さるたひこのみこと)巡行祭、11月10日には天孫降臨記念祭が行われる。

[落合偉洲]


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改訂新版 世界大百科事典 「霧島神宮」の意味・わかりやすい解説

霧島神宮 (きりしまじんぐう)

鹿児島県霧島市の旧霧島町に鎮座。天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎ)尊を主神とし,そのほかに6柱の神を相殿(あいどの)にまつる。社伝によると欽明天皇の時代に創建されたという。平安時代の《続日本後紀》に霧嶋岑神,また《三代実録》や《延喜式》に霧島神の名が見えている。9月19日の大祭のほか,年間を通し多くの祭りがある。旧官幣大社。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「霧島神宮」の解説

霧島神宮
きりしまじんぐう

鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座。旧官幣大社。祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ)尊・木花開耶姫(このはなさくやひめ)命・彦火火出見(ひこほほでみ)尊ほか4神。古く僧慶胤が背門丘に社殿を造営したとされ,天暦年間(947~957)には性空が瀬戸尾越に社殿と別当寺を造営したと伝える。噴火による焼失後,1484年(文明16)島津忠昌が現在地に社殿と別当寺を再興した。837年(承和4)に官社に列した式内社霧島神社にあたるか。例祭は9月19日。特殊神事に散籾祭・お田植祭・天孫降臨御神火祭がある。

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百科事典マイペディア 「霧島神宮」の意味・わかりやすい解説

霧島神宮【きりしまじんぐう】

鹿児島県姶良(あいら)郡霧島町(現・霧島市)に鎮座。旧官幣大社。瓊瓊杵(ににぎ)尊をまつる。祭神が降臨したと伝える霧島山の高千穂峰を神域に含む。延喜式内社とされる。例祭は9月19日。
→関連項目霧島[町]霧島山

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デジタル大辞泉プラス 「霧島神宮」の解説

霧島神宮

鹿児島県霧島市の霧島山中腹にある神社。延喜式内社。祭神は天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)など。もとは高千穂峰の山頂近くにあったが、霧島山の大噴火のため焼失。以後も噴火被害による焼失・移転を繰り返し、現在地に移転したのは15世紀後半。18世紀初頭に建造された社殿は国の重要文化財に指定。豪華な朱塗りの本殿以下、拝殿、勅使殿などの配置も美しく、「西の日光」と称される。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「霧島神宮」の意味・わかりやすい解説

霧島神宮
きりしまじんぐう

鹿児島県中部霧島市に鎮座する元官幣大社。祭神はアメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコト(→ニニギノミコト〈瓊瓊杵尊〉)。例祭 9月19日。本殿,幣殿,拝殿など建物は国の重要文化財に指定されている。門前町は温泉街となっており,霧島錦江湾国立公園に属する。

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事典・日本の観光資源 「霧島神宮」の解説

霧島神宮

(鹿児島県霧島市)
かごしま よかとこ100選 四季の旅」指定の観光名所。

霧島神宮

(鹿児島県霧島市)
かごしま よかとこ100選 浪漫の旅」指定の観光名所。

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