日本大百科全書(ニッポニカ) 「電気化学工業」の意味・わかりやすい解説
電気化学工業
でんきかがくこうぎょう
電気化学反応を利用した電解工業と電気炉を活用する電熱工業、とくに、カーバイド工業を中軸とする工業をさす。ほかに、電池の製造、界面電気化学、放電化学などにかかわる工業が含まれる。具体的には、水溶液電解、溶融電解によるアンモニア、カ性ソーダ(水酸化ナトリウム)や石灰窒素の生産、電気めっき、合金鉄の製錬、人造黒鉛の製造などが主要事業である。電気化学工業の第一義的な特徴は、大量の電力を消費することから原価構成に占めるエネルギー・コストのウェイトが高いことであり、これを軽減するため自家水力発電等により工場の稼働が試みられてきた。
1836年にダニエル電池が発明されて以降、電池の研究が、電気化学の主要領域として台頭している。電池の研究を基盤に電気めっきが実用化され、また、1869年には銅の電気分解を利用した電解製錬法が発明され、銅やアルミニウムの電解精錬が本格化してきた。非鉄金属とされる銅やアルミニウムの電解製錬のみでなく、塩水を電気分解してカ性ソーダ、塩素、水素を製造する電解ソーダ事業が、電気化学工業の中軸的位置を占めることになる。塩素は、直接、ガスのまま消費されるほか、液体塩素、塩酸、次亜塩素酸ソーダ等、塩化物として製品化されている。
カ性ソーダ、塩素等に関する製法は、まず、ルブラン法からアンモニア法、隔膜法に移行している。さらに日本では、1953年(昭和28)に食塩電解法の生産能力が、アンモニア法を上回っている。カ性ソーダの生産拡大は、調味料用の塩酸、紙・パルプ用のさらし粉、液体塩素、DDT・BHC等農薬向け、塩化ビニル樹脂、塩化ビニリデンの国産化に伴う塩素需要の急増に起因している。そして、隔膜法に比較して不純物が少なく、製品の品質が良く、低コストであったことから水銀法電解設備が増加した。だが、1973年、政府が、健康被害から非水銀法への製法転換を決定したことにより、イオン交換膜法が台頭している。
他方、電気化学工業のもう一つの主要事業領域が、カーバイド工業である。19世紀末、カーバイドや石灰窒素などの工業化が開拓されている。日本でも、1900年(明治33)にカーバイドの製造が開始された。アセチレンランプに活用されていたカーバイドから、誘導品として肥料である石灰窒素が製造されている。ただ、石灰窒素は、第二次世界大戦後のしばらくは主要製品であったが、硫安工業の合理化に伴い肥料の多様化が進行し、その需要は頭打ちになっている。これに対し、塩化ビニル樹脂、塩化ビニリデン、酢酸ビニル向けなどアセチレンからの誘導品が増加することになり、カーバイドから得られるアセチレンの需要の増大を招いた。需要構造の変化に対応した合理化、近代化が求められ、カーバイド工業の設備の近代化が促進されることになる。1952年、日本カーバイド工業株式会社が、副生する一酸化炭素の有効利用につながる密閉式電気炉を世界で初めて完成させた。それまで、カーバイド炉は開放型であった。その後、カーバイド・メーカーが相次いで密閉式電気炉を採用しており、カーバイド炉の大型化や自動化、合理化が進み、作業効率が向上している。電気炉で溶融されたカーバイドは、建材や接着剤用の酢酸、酢酸ビニル、塩化ビニル等アセチレン系有機化学市場の拡大に連動することになる。また、カーバイドを生産する際の余剰石灰石は、セメントの生産に有効活用されてきた。ただ、酢酸や塩ビモノマー等のブタジェン法による石油化学コンビナートでの生産が支配的となり、カーバイド・アセチレン法で生産されたアセチレンを原料として有機化学品、無機化学品を生産する事業は低迷をたどることになる。溶接や切断用のアセチレンガスをカーバイドから生産する事業は存続しているが、溶解アセチレンの生産量は、1970年の80事業所での約6万5000トンをピークに急減している。事業所も、多く共同運営に移行することになった。電気化学工業は、古い伝統をもつ工業ではあるが、エネルギー費用の上昇、相対的な低生産性、石油化学工業による代替製品の開発等により、市場は縮小し、低迷状態に陥っている。
その後も、溶解アセチレンの生産は減少を続け、2013年(平成25)の時点で、27社、39事業所での生産量は、1万1912トン、生産額は約75億円にとどまっている(日本産業・医療ガス協会調べ)。また、2012年のカ性ソーダの生産を含むソーダ工業の事業所数は20,従業員3070人、出荷額約1724億円(工業統計表)で、21世紀において規模縮小が進行している。
[大西勝明 2015年1月20日]