雍正帝(読み)ようせいてい(英語表記)Yōng zhèng dì

精選版 日本国語大辞典 「雍正帝」の意味・読み・例文・類語

ようせい‐てい【雍正帝】

中国清朝第五代の皇帝(在位一七二三‐三五)。名は胤禛(いんしん)。廟号は世宗。康熙帝の第四子。綱紀の粛正、官制の改革によって集権制を徹底化し、税制の安定を図り、次の乾隆年間(一七三五‐九五)の繁栄基礎を築いた。(一六七八‐一七三五

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デジタル大辞泉 「雍正帝」の意味・読み・例文・類語

ようせい‐てい【雍正帝】

[1678~1735]中国、の第5代皇帝。在位1722~1735。いみな胤禛いんしん廟号びょうごうは世宗。康熙帝の第4子。綱紀の粛正、官制の改革、税制の安定を図り、皇帝独裁権を強化。軍機処を創設。対外的には青海チベットを平定。

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改訂新版 世界大百科事典 「雍正帝」の意味・わかりやすい解説

雍正帝 (ようせいてい)
Yōng zhèng dì
生没年:1678-1735

中国,清朝第3代(入関前からいえば第5代)の皇帝。在位1723-35年。名は胤禛,諡(おくりな)は憲皇帝,廟号(びようごう)は世宗。康煕帝の第4子で,帝位継承をめぐる抗争の末,46歳で即位,在位期間は短かったが,君主専制体制を確立するうえで力があった。官僚が皇帝に上奏するには,公式ルートを通じる題奏(題本)と直接,皇帝に密奏する摺奏(奏摺)の二つのルートがあったが,帝は後者を重んじ,地方官から積極的に情報を収集してみずから朱筆で意見を書き加えた(硃批(しゆひ)という)。このため重要な政治問題の決裁はすべて摺奏を通じて行われることになり,皇帝権力のいっそうの強化をもたらした。これら奏摺と硃批の一部を刊刻したものが《雍正硃批諭旨》である。さらに,ジュンガル準噶爾)との戦争が起こると,軍事上の機密保持と決裁の迅速のために軍機処を設置し,軍機大臣を置いて文書の処理に当たらせた。このため,明代以来の内閣制度は形骸化し,軍機処が政治上の実権を握ることになった。彼はまた財政制度の合理化に着手し,地丁併徴(人頭税の土地税への繰入れ)を推進した(地上銀)。従来,租税の徴収に当たっては,銀の目減り分を付加税として徴収し,官僚の生活費に当てていたが,彼は一定限度内で認めた付加税を財源にして官僚に養廉銀を支給する代り,官僚の私的な中間搾取を禁止した。

 対外的には特に積極策をとらなかったが,1724年(雍正2),青海とチベットの反乱を鎮圧して駐蔵大臣を派遣,27年にはロシアとの間にキャフタ条約を結んで国境を画定し,さらに29年にはジュンガルとの戦争に勝利するなど,版図の保持に努めた。その〈御製朋党論〉は官僚が朋党を組むことを禁じたものであり,《大義覚迷録》は,謀反をはかった曾静を訊問して清朝支配の正当性を主張したものであって,専制君主としての自信にあふれた著作である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「雍正帝」の意味・わかりやすい解説

雍正帝
ようせいてい
(1678―1735)

中国、清(しん)朝第5代皇帝(在位1722~35)。康煕(こうき)帝の第4子。名は胤(允)禛(いんしん)、廟号(びょうごう)は世宗、年号により雍正帝とよぶ。治世わずかに13年であったが、康煕帝60年の放漫政治の後を受け、官僚の綱紀を引き締めて皇帝独裁権を強化し、財政を改革し、清朝支配権を確立して、次の乾隆(けんりゅう)帝60年の治世に引き継いだその事業の歴史的意義は、高く評価されている。即位後、帝は、後継者を秘密裏に指名する太子密建(たいしみっけん)法を定め、皇太子をめぐる皇子間の争いを封じた。内政ではまず第一に、地方官が皇帝に直接意見を奏上する奏摺(そうしょう)制度、すなわち官僚の密告制度ともいうべきやり方を奨励し、官僚の党争、腐敗を厳しく取り締まったが、反面、官僚に対する勤務手当ともいうべき養廉銀(ようれんぎん)の制度も新設した。第二に、康煕末年より始められた税制上の一大改革である地丁銀の制度を全国的に施行した。第三に、改土帰流(かいどきりゅう)を行った。これは、辺境地域に住む少数民族の土司・土官制を、中央派遣の地方官統治に改める改革であった。第四に、山西の楽戸(がくこ)、浙江(せっこう)の惰民(だみん)、広東(カントン)の蛋民(たんみん)、安徽(あんき)の世僕(せいぼく)など賤民(せんみん)の解放を行い、第五に、文字の獄により、根強く残る反満思想を厳しく弾圧した。

 対外関係では、まずロプサン・テンジンを討伐して青海を属領とし、チベットには駐蔵大臣を置いて保護領とした。次にジュンガルでは、ガルダン・ツェレンの侵入をモンゴルのツェレンがよく防いだので、トシェト部を割いてサインノヤン部を新設し、ツェレンをハン(汗)に封じた。このとき中央に軍機処(ぐんきしょ)を設けたが、以後、民政も含めて軍機処が内閣にかわる政治の最高機関となった。またロシアとキャフタ条約を結んで、シベリアの国境を定め、貿易を開いた。さらに、康煕帝が優遇した西洋人宣教師の取締りを強化し、宮廷に仕える一部の者を除いてマカオに追放した。

[北村敬直]

『宮崎市定著「雍正帝――中国の独裁君主」(『アジア史論考 下巻』所収・1976・朝日新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「雍正帝」の意味・わかりやすい解説

雍正帝
ようせいてい
Yong-zheng-di; Yung-chêng-ti

[生]康煕17(1678).10.30. 北京
[没]雍正13(1735).8.23. 北京
中国,清朝の第5代皇帝 (在位 1723~35) 。名は胤しん (いんしん) 。諡は憲皇帝。廟号は世宗。年号は雍正。康煕帝の第4子で和碩雍親王となり,次いで継位争いのさなかに即位した。即位後ただちに継位を争った允し (いんし) ,允とう (いんとう) を庶民に下し,権臣の年羹堯 (ねんこうぎょう) ,ロンコド (隆科多)らを粛清。王族,権臣の権力基盤であった八旗制に改変を加えて独裁権力の確立に努めた。その政策は厳格であり,地方長官の総督,巡撫を直接統治する奏摺制度を実施し,従来の内閣を有名無実化して,のちには軍機処を創設するにいたった。地方官には不正を行うことのないように養廉銀を給し,地方の賤民の戸籍を改め,辺境のミヤオ (苗) 族を統治下に入れる改土帰流政策を展開し,豊かな財政を背景に丁賦 (人頭税) を廃して地銀に繰入れる地丁銀制を促進するなどの内治に努めた。また皇太子問題で懲りた帝は,皇太子は立てるが公表しないという皇太子密建法を施行し,これにより乾隆帝が即位した。

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百科事典マイペディア 「雍正帝」の意味・わかりやすい解説

雍正帝【ようせいてい】

中国,清朝第3代(入関前からいえば第5代)の皇帝(在位1723年―1735年)。廟号は世宗,諡(おくりな)は憲皇帝。康煕帝の第4子。即位以来内治に意をそそぎ,宮廷朋党の一掃,賤民(せんみん)の解放,軍機処の設置,改土帰流(辺土行政)の推進,地丁銀制の普及など君主独裁統治体制の整備をはかった。対外的には青海とチベットの討伐,ロシアとのキャフタ条約の締結,キリスト教布教の厳禁などがある。
→関連項目アヘン戦争乾隆帝内閣(中国)文字の獄

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「雍正帝」の解説

雍正帝(ようせいてい)
Yongzhengdi

1678~1735(在位1722~35)

の第5代皇帝。廟号は世宗,名は胤禛(いんしん)。康熙(こうき)帝の第4子。康熙・乾隆(けんりゅう)両帝の中間の比較的短い治世であったが,清朝の基礎を確立した。内治に意を用い,政治の独裁,綱紀の粛正,財政の充実を図り,軍機処の創設,改土帰流(辺境統治の改革)などを行った。地丁銀が一般化したのもこの時代である。対外的には青海,チベットを討ち,ロシアとキャフタ条約を結び,キリスト教を禁じた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「雍正帝」の解説

雍正帝
ようせいてい

1678〜1735
清朝の第5代皇帝,世宗(在位1722〜35)
君主独裁体制を強化したが,堅実な政治で民生を安定させ,地丁銀を全国的に実施して財政を健全化した。外征・外交は消極的だったが,ジュンガルを攻撃したとき臨時に設けた軍機処が,しだいに国政の最高機関として内閣に代わった。また1724年にはキリスト教布教を禁止して,朝廷奉仕者以外の宣教師をマカオに追放。いっぽう,1727年にはロシアとキャフタ条約を結び,国境貿易をひらいた。

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世界大百科事典(旧版)内の雍正帝の言及

【硃批諭旨】より

…中国,清朝の雍正帝が,地方官から送られてくる奏摺に硃批(朱筆による諭旨)を書き加え,これを編纂したもの。《雍正硃批諭旨》ともいう。…

【清】より

…ついで83年には,長年台湾に拠って抵抗をつづけていた鄭氏一族(鄭成功)も下り,ここに清朝の支配体制の基礎が確立したのである。これより清朝は,聖祖康熙帝,世宗雍正帝,高宗乾隆帝の3代にわたり,18世紀末まで最盛期を迎える。清朝は満州族の征服国家であるから,一面では八旗制度のように満州族特有の制度をもち,その維持につとめたが,他面明朝の制度を大幅に継承する二重体制の国家であった。…

※「雍正帝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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