陶興房(読み)すえ・おきふさ

朝日日本歴史人物事典 「陶興房」の解説

陶興房

没年天文8.4.18(1539.5.6)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。大内氏の家臣周防(山口県)守護代。三郎,中務少輔,尾張守。道麟,道麒と号す。父は弘護,母は益田兼尭の娘。永正5(1508)年,大内義興に従って上洛。大永2(1522)年以降,義興の命によって安芸(広島県)にしばしば出陣し,同4年には友田興藤を下した。翌5年には安芸から備後(広島県)に出兵し,尼子勢と戦った。天文1(1532)年以降,義興の子義隆から少弐氏討伐のため九州に派遣され,北部九州を転戦,少弐氏を圧倒した。仁義忠孝,文武を兼ね備えた武将であったという。<参考文献>近藤清石『大内氏実録』

(佐伯弘次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「陶興房」の解説

陶興房 すえ-おきふさ

?-1539 戦国時代の武将。
陶弘護の子。大内義興(よしおき),義隆につかえ周防(すおう)(山口県)守護代をつとめる。安芸(あき)(広島県),備後(びんご)(広島県)に兵をだし勢力をのばし,さらに九州の少弐氏を攻め,ほろぼした。和歌,連歌にもすぐれ,京都の公家とも交流があった。天文(てんぶん)8年4月18日死去。幼名は三郎。号は道麟,道麒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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