阿閦(読み)あしゅく

精選版 日本国語大辞典 「阿閦」の意味・読み・例文・類語

あしゅく【阿閦】

幸若敦盛(室町末‐近世初)「こむだうの本尊はあしゅくほうしゃうみだしゃか、これまた大しの御作なり」 〔翻訳名義集‐一〕

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改訂新版 世界大百科事典 「阿閦」の意味・わかりやすい解説

阿閦 (あしゅく)

大乗仏教の初期に考えだされた仏。サンスクリットAkṣobhya(〈不瞋恚(ふしんい)〉の意)の音訳。147年漢訳の《阿閦仏国経》によると,過去世に一比丘が東方の妙喜国Abhiratiにおいて大日如来説法をきき,菩薩の誓願おこし,不瞋恚の誓いをたて,大日如来から〈阿閦仏となるべし〉との予言をうけた。現在,妙喜国を支配する仏となり,衆生にはその浄土への往生が勧められる。誓願・浄土・往生などの思想において阿弥陀仏思想と通ずるところがあるが,そのため阿閦は阿弥陀仏思想の影にかくれた存在となっていく。
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阿閦如来像は《阿閦仏国経》に説かれるばかりでなく,《金光明経》には四方四仏のうちの東方の仏として現れている。四仏の組合せはさまざまであるが,阿閦が含まれた例が6世紀の中国の石像の中に存在する。しかし,その形像は,それらの経典に説かれておらず,それらの石像に関しても詳しく報告されてはいない。現在は密教の経典に記された形像だけが知られている。密教の阿閦像は,蓮華座の上に結跏趺坐(けつかふざ)する座像として表され,左手袈裟の端を握って腹の左前に置き,右手は腕も五指も伸ばして膝の前で地に触れる。右手の形は降魔の印である。密教の金剛界曼荼羅では,五解脱輪のうちの下方(東方)の中央円相内に位置する。日本における《阿閦仏国経》の最古の記録は,736年(天平8)の正倉院文書(《写経請本帳》)である。また,石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)が建てた芸亭(うんてい)は,自宅を改造した阿閦寺の境内にあった。この寺名は,阿閦仏が本尊として安置されていた可能性を示唆している。9世紀に入り,空海が,高野山に建立した金剛峯寺の講堂の本尊は阿閦如来であったと言われているが,その像は遺されていない。空海が造らせた像であるから,当然,密教の阿閦像であったと推測される。このほかに,日本における四方四仏の中の阿閦如来像としては,平安時代初期の作と推定されている西大寺の彫像が知られる。これらを考え合わせると,8~9世紀には阿閦如来が造像され,あるいは単独で信仰されていたのではないかと推測されるが,それ以後,阿閦如来の信仰は盛んにはならなかった。密教像としても,両界曼荼羅以外には安祥寺蔵五智如来像の中の阿閦像が知られるにすぎない。なお,阿閦如来と呼ばれている像が,法隆寺と和歌山親王院と京都地蔵院に1尊ずつあるが,法隆寺像は胎内の梵字(キリーク)によって阿弥陀如来と考えられ,親王院像(奈良時代)と地蔵院像(平安時代)とは左手で袈裟の端を持つ如来形の立像であるが,当初から阿閦如来として造像されたか否かつまびらかではなく,この尊名は左手に袈裟を持つ姿に基づく後世の命名ではないかと考えられている。
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