防府(市)(読み)ほうふ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「防府(市)」の意味・わかりやすい解説

防府(市)
ほうふ

山口県の瀬戸内海沿岸のほぼ中央部を占める商工業都市。1902年(明治35)佐波(さば)、三田尻(みたじり)の2村が合併して防府町となり、1936年(昭和11)中関(なかのせき)町と華城(はなぎ)、牟礼(むれ)の2村を合併して市制施行。1939年西浦(にしのうら)村、1951年右田(みぎた)村、1954年富海(とのみ)村、1955年小野、大道(だいどう)の2村を編入。JR山陽本線、国道2号、262号、山陽自動車道が通じる。防府平野を占め、向(むこう)島、野島などの島々を含む。市名は周防(すおう)国の国府の置かれたことに由来。『和名抄(わみょうしょう)』の牟礼、達良(たたら)、佐波、玉祖(たまのおや)、勝間の諸郷の地で、県下でもっとも広く条里遺構を残している。松崎天神の社前に開けた宮市(みやいち)は中世以来防府平野の市場町近世には山陽道の宿駅として栄えた。萩(はぎ)藩御船倉(おふなぐら)の置かれた三田尻は毛利(もうり)水軍の基地となり、三田尻塩や防長米の積出し港としても知られた。近世の干拓地植松、伊佐江(いさえ)から鞠生松原(まりふのまつばら)、勝間に至る旧海岸線以南で、防府平野のなかば以上に及び、ここに成立した三田尻塩田は明治以降も長く西瀬戸内製塩業の中心をなした。防府の工業化は昭和に入って協和醗酵(はっこう)(現、協和発酵バイオ)、鐘ヶ淵(かねがふち)紡績(のちカネボウ、2005年に工場は閉鎖)の二大工場が設置されてからで、山陽本線防府駅一帯にしだいに新市街地が発達し、ようやく都心地区が成長してきた。1982年西浦塩田跡地に東洋工業(現、マツダ)の自動車工場が進出し、中関港周辺の工業化も進んでいる。市内には史跡、文化財が多く、前方後円墳の大日(おおにち)古墳(国の史跡)や車塚古墳、占手(うらて)神事を伝える玉祖神社、天平(てんぴょう)以来の旧地に建つ周防国分寺旧境内、周防国衙(こくが)跡(ともに国の史跡)、南朝の遺跡敷山(しきやま)城跡(国の史跡)、裸坊(はだかぼう)祭で有名な防府天満宮、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)創建の阿弥陀(あみだ)寺などがあり、1916年(大正5)に建造された毛利邸(現、毛利博物館)は国宝・重要文化財の美術品を多く蔵し、庭園は名勝として知られる。向島タヌキ生息地、西浦のエヒメアヤメ自生地南限地帯は国指定天然記念物。山上公園の大平山(おおひらやま)、海水浴場の富海や野島などもある。漂泊の俳人種田山頭火(たねださんとうか)の生地。特産は三田尻のかまぼこ。面積189.37平方キロメートル、人口11万3979(2020)。

[三浦 肇]

『『防府市史』(1957・防府市)』『『防府市史』全9巻(1992~2004・防府市)』


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