闘鶏(読み)トウケイ

デジタル大辞泉 「闘鶏」の意味・読み・例文・類語

とう‐けい【闘鶏】

鶏を戦わせて勝負を争うこと。また、その鶏。鶏合わせ。奈良時代に唐から伝わり、陰暦3月3日の宮廷行事にもなった。 春》

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改訂新版 世界大百科事典 「闘鶏」の意味・わかりやすい解説

闘鶏 (とうけい)

鶏が本能的にもつ闘争心を利用して闘わせる競戯。野鶏が最初に馴化され家鶏とされたのは東南アジアマレー半島であろうとする説が有力である。黎明を告げる鳥としての宗教的な意義,および闘鶏という娯楽的意義が重視され,肉の利用はむしろ後代にいたってからであるらしい。その後,陸・海路を経て鶏,そして闘鶏は世界各地に伝えられた。インド,古代ペルシアからギリシアでも盛んで,サラミスの海戦(前480)を前に,ペルシア軍と闘うギリシアの名将テミストクレスが自分の軍隊に闘鶏を見せ,士気を鼓舞したという話は有名である。古代ローマからスペインを経て北部ヨーロッパに伝えられた闘鶏は,中世イギリスで大流行し,祭日の催しとして欠かせないものであったと同時に,当時の学生間でもてはやされた。16世紀のヘンリー8世は闘鶏愛好家としても知られる。

 中国では,すでに《左伝》昭公二十五年(前517)の条などに見える。その後も上流階級の遊びとして行われ,魏の曹植らに〈闘鶏〉詩が残り,当時,闘鶏台も造られた。隋・唐時代に最も盛んで,高位高官の家では争って闘鶏用の鶏を買い,とくに玄宗の愛好ぶりは陳鴻(ちんこう)の《東城老父伝》に詳しい。この頃にはすでに民間にも流行し,おもに寒食清明節前後に行われた。宋・元以後,しだいに衰微した。

 日本では平安期にまず宮廷貴族の間で鶏合(とりあわせ)と称して好まれた。記録にも残っている有名な鶏合がいくつかあり,また紀州田辺には闘鶏神社があるほどである。江戸時代には闘鶏用に雄鶏を改良したシャモが導入され,闘鶏は庶民の間での大きな娯楽となった。明治期以降,表向きには禁止されているが,現在でもいくつかの地で行われている。

 闘鶏は,動物愛護の観点から,また闘鶏に伴って賭が行われることから禁止されている国が多いが,現在でも東南アジアのマレー半島,フィリピンスマトラジャワ,ヨーロッパのフランスやルーマニアの一部地域,中南米ペルー,メキシコ,ハイチ,プエルト・リコ,そしてアフリカのセネガルエチオピアなどで見られる。多くの場合,蹴爪を切ってそこに鉄製の剣や太い針を取り付け,一方が戦意を喪失するか,または死ぬまで闘わせる。地面において闘わせるところもあるが,闘鶏用の特殊なリングを設けるところもある。賭が盛んなため,鶏の繁殖飼育法ともに各地で高度に技術化されている。
鶏合
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「闘鶏」の意味・わかりやすい解説

闘鶏
とうけい

おんどりを戦わせて勝負を争う競技。古くは鶏合(とりあわ)せといった。唐の時代に中国に始まり、奈良時代の初め日本に伝えられたといわれる。『日本書紀』に雄略(ゆうりゃく)天皇の7年に鶏合せが行われたという記録がある。奈良・平安時代には宮中をはじめ上流社会で流行し、とくに幼帝なぐさみのためしばしば催され、のちには3月3日の宮廷行事の一つとして毎年行われていた。

 現在の闘鶏は、ニワトリの飼育が盛んになるにつれて、その優劣を競うことを目的として始まったが、江戸時代から明治の初めにかけて、ニワトリはシャモ(軍鶏)を使用し、もっぱら賭(か)け事として流行していた。1873年(明治6)に闘鶏の禁令が公布されたが、地方的な風習もあり、あまり効果はなかった。また東京市は1916年(大正5)、動物愛護の立場から闘牛、闘犬とともに闘鶏も禁止している。闘鶏は、鶏師(とりし)といわれる胴元と、胡麻師(ごまし)という世話人が、シャモの所有者と話し合い、日時、場所を定め、観客を集めて開催する。勝負は土俵上で行うが、土俵には本土俵と巻土俵とがある。本土俵は地面を深さ四尺(121センチメートル)、直径六尺(182センチメートル)の円形に掘り下げ、穴の側面と底に筵(むしろ)を敷いてつくる。巻土俵は室内で行う場合のもので、本土俵と同じ形状、大きさに筵を立ててつくる。勝負は、戦意を失ってうずくまるか、3回以上土俵の外に飛び出したほうを負けとする。現在は賭け事としてはもちろん、動物愛護の立場からも全国的に禁じられているが、ニワトリの産地として知られる中部、四国、九州地方では、地方的な行事として、なかば公然と行われている。

 闘鶏は古くは古代ギリシア、ローマ時代に始まり、中国、インド、イギリスなどでも行われていた。とくにイギリスでは、宮廷貴族に好まれ、18世紀後半から19世紀にかけて隆盛を極めた。現在では東南アジア、西インド諸島などで盛んに行われている。

[倉茂貞助]

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普及版 字通 「闘鶏」の読み・字形・画数・意味

【闘鶏】とうけい

鶏を闘わせる。〔戦国策、斉一〕臨(りんし)甚だ富にして實、其の民を吹き瑟(しつ)を鼓し、ち琴を彈じ、走犬、六鞠(たふきく)せざる無し。~家敦(あつ)くして富み、志高くして揚る。

字通「闘」の項目を見る

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百科事典マイペディア 「闘鶏」の意味・わかりやすい解説

闘鶏【とうけい】

雄鶏を闘わせる競技。古代中国,インド,ペルシア,ギリシア,ローマで流行,賭博(とばく)の対象として世界各地で行われるようになった。賭(かけ)の弊害が多くなったため,英国(1849年)はじめ法律で禁止する国が増加。現在,フィリピンなど東南アジア,プエルト・リコなど中米で盛んで,ヨーロッパの一部にも残る。日本では古来鶏合(とりあわせ)として行われ,平安時代には宮廷の年中行事(3月3日)となった。江戸時代には雄鶏を改良した闘争心の強いシャモが導入され,庶民の間でも娯楽として広まっていった。明治以降,法律で禁止されているが,いまでも熱心なファンがいて,多くの地域で行われている。→闘牛闘犬

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「闘鶏」の意味・わかりやすい解説

闘鶏
とうけい
cockfighting

雄鶏をたたかわせる競技。起源は古く,古代中国,インド,ペルシア,ギリシア,ローマなどですでに流行しており,それらが世界各地に伝わって賭博の対象として広く行われるようになった。ことにイギリスではヘンリー8世の時代 (1509~47) に王室の闘鶏場が設けられたほどで,競馬などにさきがけてギャンブルスポーツとして人気を博した。日本でも「鶏合 (とりあわせ) 」という呼称で上代から行われ,ことに平安時代には宮廷貴族から庶民の間にまで広く流行し,宮廷では年中行事 (3月3日) の一つとされた。闘鶏は賭博を伴うために各国で禁止されたが,現在でも西インド諸島 (特にプエルトリコ) や東南アジアなどでは盛んで,日本でも小規模ながら一部で行われている。

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世界大百科事典(旧版)内の闘鶏の言及

【鶏合】より

…雄鶏をつがえて闘わせる遊戯。闘鶏。中国では古く周代からあり,所伝では唐の玄宗が乙酉の年の生れゆえに闘鶏を好み,また闘鶏を行ってのち間もなく位についたため,治鶏坊を建て鶏を闘わせたという。…

【ニワトリ(鶏)】より

…日本には中国を経由して前300年以前に入ったと考えられ,古墳時代の埴輪(はにわ)にもニワトリをかたどったものがみられる。現代のニワトリは卵,肉などの食料生産を主要な目的として飼われているが,家畜化の初期には報晨(ほうしん)(時を知らせること),闘鶏,愛玩が主目的であった。主要品種を飼養目的によって分類すると次のようである。…

【ペット】より

…軽駕(けいが)競走用のウマにはトロッター種がある。また動物どうしを闘わせて勝負を楽しむ競技に闘牛(日本),闘犬,闘鶏がある。日本の闘牛はウシどうしが力比べをする牛相撲ともいうべきもので,人間とウシが闘うスペインやメキシコの闘牛とは異なる。…

※「闘鶏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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