関長治(読み)せき ながはる

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関長治」の解説

関長治 せき-ながはる

1657-1738 江戸時代前期-中期大名
明暦3年9月6日生まれ。森長継(ながつぐ)の9男。叔父関長政養子となり,元禄(げんろく)2年美作(みまさか)(岡山県)宮川藩主関家2代。10年本藩の津山藩廃藩にともない,備中(びっちゅう)(岡山県)新見(にいみ)藩主(1万8000石)関家初代となる。元文3年8月11日死去。82歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「関長治」の解説

関長治 (せきながはる)

生年月日:1657年9月6日
江戸時代前期;中期の大名
1738年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の関長治の言及

【備中国】より

…さて,1672年(寛文12)岡山藩主池田光政は,その子政言(まさこと),輝録(てるとし)にそれぞれ備中国内で2万5000石,1万5000石を分与したが,これが岡山藩支封の外様小藩としての鴨方(かもがた),生坂(いくさか)両藩である。97年森長継が2万石を与えられて,後月郡西江原(井原市)に居所を構えて立藩した西江原藩は,外様小藩で1706年(宝永3)移封で廃藩となり,1698年阿賀郡新見を居所として,関長治が1万8000石を領して立藩した新見藩は,外様小藩ながら9代170年余在封した。 このほか,備中国内の天領支配のため倉敷代官所が1642年に,笠岡代官所が1700年にそれぞれ設置され,備中南部の早島,帯江,撫川(なつかわ),妹尾,高松などには,戸川氏,花房氏などの旗本知行所が置かれていた。…

※「関長治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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