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デジタル大辞泉
「長田秋濤」の意味・読み・例文・類語
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長田秋濤
没年:大正4.12.25(1915)
生年:明治4.10.5(1871.11.17)
明治大正期の劇作家,仏文学者。本名忠一。静岡県の生まれ。幕府の仏学者を父に持ち,若き日イギリスやフランスに留学,コメディ・フランセーズの楽屋に出入りし演劇に興味を持つ。帰国後フランス演劇を紹介しつつ,『王冠』(1899)などの翻案ものに力を注ぐ。演劇改良の風潮のなかで,川上音二郎らと提携,劇界に新風をもたらした。秋濤の名を知らしめたのはデュマ『椿姫』の訳(1903)で,尾崎紅葉訳として同年出たユゴー『鐘楼守』(『ノートルダム・ド・パリ』)も,実際は秋濤の仕事である。日露戦争後は南方開発にも関心を示したが,不遇であった。そのモデル小説に中村光夫『贋の偶像』(1967)がある。
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長田秋濤 おさだ-しゅうとう
1871-1915 明治-大正時代の劇作家,フランス文学者。
明治4年10月5日生まれ。長田銈太郎(けいたろう)の長男。ソルボンヌ大にまなび,演劇にしたしみ,帰国後演劇の改良,フランス文学の翻訳・紹介につくす。一時早大でおしえ,帝国ホテル支配人もつとめた。大正4年12月25日死去。45歳。静岡県出身。本名は忠一。戯曲に「菊水」,訳書に「椿姫」など。
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