長浜村民五郎(読み)ながはまむらたみごろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長浜村民五郎」の意味・わかりやすい解説

長浜村民五郎
ながはまむらたみごろう
(?―1838?)

江戸後期の義民。甲斐(かい)国郡内(ぐんない)領長浜村(山梨県南都留(みなみつる)郡富士河口湖町)生まれの「無宿」。若いころから国中(くになか)(甲府盆地)付近で「渡世人」暮らしをしていたが、1836年(天保7)8月、甲州一揆(いっき)のとき、中途で郡内衆が引き上げてから一揆頭取となる。甲府勤番支配ならびに甲府代官所役人勢に攻撃をかけ押し破り、甲府町方をはじめ国中一円打毀(うちこわし)の先頭にたつ。このため捕らえられ、36年12月4日「一番籠(かご)」で江戸送りとなり、38年5月、最重刑の磔(はりつけ)の判決が決まったが、その前に牢死(ろうし)。甲州一揆では、年齢および経歴不詳の無宿の参加が多かったが、その代表的な者とされる。

[小林利久]

『『大月市史 通史篇(郡内騒動)』(1953・大月市)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長浜村民五郎」の解説

長浜村民五郎 ながはまむら-たみごろう

?-1838 江戸時代後期の一揆(いっき)指導者。
甲斐(かい)(山梨県)国中(くになか)(甲府盆地)の博徒(ばくと)。天保(てんぽう)7年の甲州一揆のとき,途中から一揆の頭取となる。甲府勤番士,甲府代官所役人らと交戦し,国中一帯の米穀商,質屋などの打ちこわしを指導した。捕らえられて江戸におくられ,天保9年磔(はりつけ)がきまったが,その前に牢死。

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