長沼流(読み)ながぬまりゅう

精選版 日本国語大辞典 「長沼流」の意味・読み・例文・類語

ながぬま‐りゅう ‥リウ【長沼流】

〘名〙 兵法の一流派。寛文一六六一‐七三)頃、信州松本藩士長沼長政の子、長沼宗敬澹斎が甲州流軍学もとに、孫呉七子の兵法などを参酌して創始したもの。「兵要録」などの伝書を伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長沼流」の意味・わかりやすい解説

長沼流
ながぬまりゅう

近世兵学の一流派。流祖は長沼澹斎(たんさい)(1635―90)。澹斎は信州松本藩士長沼長政(ながまさ)の子で、名は広敬(ひろよし)のち宗敬(むねよし)、通称三左衛門のち外記(げき)と称した。幼少より経書や兵書に親しみ、12歳のとき、その英才を認められて藩主松平光重(みつしげ)の近習(きんじゅう)に採用され、その移封に従って美濃加納(みのかのう)(岐阜)にきたり、18歳のとき禄(ろく)100石を賜り、軍政所に出仕した。そして23歳のとき致仕して江戸へ出、芝増上寺の近くに私塾を開いた。のち久留米(くるめ)の有馬侯に認められ、250石で召し抱えられたが、1668年(寛文8)辞去し、旧縁の明石(あかし)藩主松平直明(なおあき)の招きに応じて国家老(くにがろう)となり、居ること5年、辞して山城伏見(やましろふしみ)に隠棲(いんせい)し、90年(元禄3)56歳で没した。この間、孫呉など中国古兵法のみならず、明(みん)代につくられた『紀効新書(きこうしんしょ)』や『武備志(ぶびし)』など新しい兵書を駆使し、甲州流、越後(えちご)流などの既存の兵学とは異なる斬新(ざんしん)な兵法の体系を打ちたて、『兵要録(へいようろく)』22巻(1666)などの大著を完成し、当時の学界新風を吹き込んだ。門下には井上実下(じっか)、土岐光明(ときみつあき)、仁田正武(にたまさたけ)、宮川忍斎(みやがわにんさい)らが知られ、その学統は、北は秋田、仙台、会津、南は福岡、久留米など全国諸藩に広がり、幕末には福山三春(みはる)、松本の3藩で『兵要録』の版行をみた。

[渡邉一郎]

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