長沢町(読み)ながさわちよう

日本歴史地名大系 「長沢町」の解説

長沢町
ながさわちよう

[現在地名]兵庫区三川口町みかわぐちちよう一丁目・兵庫町二丁目

三川口町の北東に接する岡方の町で、地方一八町の一。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に「長沢之町」とみえ、屋敷地一九筆。外輪堤で画された兵庫津の出入口の一である長沢口に位置し、元禄九年(一六九六)の兵庫津絵図井家蔵)によると丹生山田たんじようやまだ道が当町へ入って西宮内にしみやうち町へと向かっており、道の北側に増福ぞうふく寺・長楽ちようらく寺、南側に範国はんこく寺が描かれているが、長楽寺明和(一七六四―七二)頃までには逆瀬川さかせがわ町に移転、範国寺も幕末には隣接する三川口町龍昌りゆうしよう寺跡に移転した。

長沢町
ながさわちよう

[現在地名]中央区八丁堀はつちようぼり三丁目

本八丁堀ほんはつちようぼり三丁目の北にあり、西は武家地、東はさいわい町、北は八丁堀北紺屋はつちようぼりきたこんや町・八丁堀金六はつちようぼりきんろく町。寛永江戸図では寺地で、寛文新板江戸絵図では酒井兵部の屋敷となっている。元禄七年(一六九四)に幕府御用医師や御用達町人らの拝領地となり、名主長沢嘉左衛門にちなんで町名が定められた。安永三年小間附町鑑によれば小間は京間八〇間、公役金を納める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報