長崎鎔鉄所跡(読み)ながさきようてつしよあと

日本歴史地名大系 「長崎鎔鉄所跡」の解説

長崎鎔鉄所跡
ながさきようてつしよあと

[現在地名]長崎市飽の浦町

幕末期に開設された船舶修理所の跡。安政二年(一八五五)海軍伝習所の開設に伴い蒸気船修理などを行う施設が必要となり、七月大船製造掛が設けられ、一一月オランダに機械・器具の購入と工師の斡旋を依頼、同四年八月稲佐いなさ飽浦あくのうらに長崎鎔鉄所の建設が着工。工場建設用地は長崎湊の周囲が山がちの地勢であることから容易に決定されなかったが、飽ノ浦がわりあい平坦で湾の深い入江に臨む地であるとして選ばれた(H・O・ヴィッヘル「日本滞在回想録」、カッテンディーケ「長崎海軍伝習所の日々」)。派遣隊長カッテンディーケと機関部士官ハルデスら一一人の指導で艦船修理工場として当地に長崎鎔鉄所を起工、同六年五月鍛冶場(日本で最初に煉瓦で組積みされた建物という)が置かれ、八月蒸気槌の運転が開始され、日本、ロシア、イギリス、アメリカなどの蒸気軍艦・商船の修理を行った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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