長崎糸割賦会所跡(読み)ながさきいとわつぷかいしよあと

日本歴史地名大系 「長崎糸割賦会所跡」の解説

長崎糸割賦会所跡
ながさきいとわつぷかいしよあと

[現在地名]静岡市人宿町二丁目

長崎貿易の糸割賦金を配分するなどした会所。人宿ひとやど町三丁目に所在した(駿河記)。長崎貿易の主要輸入品であった糸(生糸。唐糸・長崎糸・長崎糸座貨物ともいう)幕府によって駿府町人にも割賦され、駿府では長崎糸座貨物、もしくはその販売益金を長崎糸割賦金として城下の有力町人および各町に配分した。慶長一四年(一六〇九)徳川家康は後藤庄左衛門に命じて長崎糸座貨物二〇〇丸を一番割で駿府に割賦し、その糸割賦金は年々五千両といわれ、町方に配分された(宝永五年「駿府町御救之覚」県立中央図書館所蔵文書、「駿河国志補遺」)。元和二年(一六一六)中断したが(駿河記)、延宝三年(一六七五)に復活し、貞享元年(一六八四)まで配分された(前掲御救之覚、「友野与左衛門書上」友野家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報