長光(読み)ながみつ

精選版 日本国語大辞典 「長光」の意味・読み・例文・類語

ながみつ【長光】

[一] 鎌倉時代、備前国長船(おさふね)刀工長船派の祖、光忠の子と伝えられる。文永から嘉元(一二六四‐一三〇六)にかけて活躍。作域は広く、華麗なものから、直刃の地味なものまであり、有名なものに大般若長光遠江長光などがある。同名の刀工は他に数人いる。また、長光の鍛えた刀もいう。
※虎明本狂言・長光(室町末‐近世初)「太刀びぜん物でござる、びぜんにてもながみつでござる」
[二] 狂言。各流。都の盗人がいなか者の太刀を取ろうとして争いとなる。仲裁人が刀の持ち主を確認するためにその特徴を尋ねると、二人ともに同じことをいう。盗人が自分の話を盗み聞きしていることに気づいたいなか者が、仲裁人の問に小声で答えると、盗人は答えられず逃げる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「長光」の意味・読み・例文・類語

ながみつ【長光】

鎌倉中期から後期の刀工。備前の人。光忠の子。足利将軍の宝刀「大般若長光」ほか多くの名刀を作り、長船おさふね派の名声確立生没年未詳。

ながみつ【長光】[狂言]

狂言。都の盗人が田舎者の持つ長光の太刀をだまし取ろうとして争いになる。仲裁人がその特徴を聞くと、盗人は田舎者の話をまねて答えるが、最後にはごまかしきれなくなって逃げだす。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「長光」の意味・わかりやすい解説

長光 (ながみつ)

鎌倉時代中末期,備前国長船(おさふね)に住した刀工。長船派の祖光忠の子と伝え,1274年(文永11)から1304年(嘉元2)までの作刀が現存する。古来,同名2代あるといい,初代順慶長光,2代を左近将監長光と呼んでいるが,順慶銘の作は長光銘の作と大きく相違し,今日では別人とする説が強く,また2代説のほか1人説,3人説なども説かれている。作風は鎌倉中期ころには光忠に似た大丁子(おおちようじ),蛙子(かわずこ),丁子乱の華やかなものがあり,末期ころには直刃(すぐは),小丁子に互の目(ぐのめ)を交えた穏やかなものが多くなる。長光の一門には子の景光を初めとして,真長,長元,近景らの名工が多く出,以後長船派(長船物)は繁栄することとなった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「長光」の解説

長光

生年:生没年不詳
鎌倉末期の刀工。備前(岡山県)邑久郡長船に住した。光忠を事実上の祖とする長船派の正系の2代目で,作品に見る年号では文永11(1274)年が最も古く,嘉元2(1304)年におよんでいる。銘は長光と2字にきるほか,左近将監長光としたものもあり,その間2代あるいは3人いたとする説もある。作品は太刀が主で,鎌倉時代の刀工中最も多く現存し,なおかつ出来の優れたものが多い。作風は初期には父光忠に似た華やかな丁字と互の目乱れの刃文を焼くが,時代が下るとおだやかな互の目や直刃の作となる。子の景光をはじめ真長,近景らの一族がいて,以後長船派は室町末期まで全刀工の派の中で最も栄えた。

(原田一敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「長光」の解説

長光
ながみつ

刀工の名。同名が多数いるが,備前長船(おさふね)派の長光が著名。光忠の子で,左衛門尉・左近将監。年紀は文永期頃からある。御物1,大般若長光など太刀5・薙刀1が国宝。重文は28。嘉元期から銘振りが変わって以後を2代というが,左近将監を冠したものを初代の晩年作とみるか2代作とみるかは判断がむずかしい。「往昔抄」では初代長光は仏門にはいって順慶と号したとするが,順慶の作風は長光より古風という。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の長光の言及

【長船物】より

…文献では近忠を祖としているが,作品が現存せず,その子光忠を事実上の祖としている。光忠には年紀作はないが,その子長光には文永11年(1274)紀の作があり,活躍年代がほぼ知られる。長光の子あるいは弟子に景光,真長(さねなが),近景,景光の子に兼光がおり,いずれも名作をのこしている。…

※「長光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android