鐘紡争議(読み)かねぼうそうぎ

改訂新版 世界大百科事典 「鐘紡争議」の意味・わかりやすい解説

鐘紡争議 (かねぼうそうぎ)

1930年4~6月,鐘淵紡績(のちカネボウ。現,クラシエホールディングス)の八つの工場で発生した労働争議。昭和恐慌期の代表的争議として知られる。恐慌下のこの時期,全産業にわたって倒産や賃金減額・人員整理があいつぎ,追いつめられた労働者は各工場で必死の反撃を試みた。争議件数も同参加者数も激増し,争議件数は31年に戦前のピークとなった。もっとも昭和恐慌期の争議は,中小零細経営で頻発したところに重要な特徴があり,大経営では紡績石炭産業・都市公営交通部門のみに集中して争議が発生した。紡績業大経営ではハイ・ドラフト化などの技術的合理化がこの時期に強行され,それが労働者へのしわよせをいっそう激しくしていた。

 従来,鐘紡は独特な温情主義的労務管理(経営家族主義)で名高く,労働組合オルグもここには影響力をほとんど広げられない状態であった。しかし恐慌下に会社が〈4割の減給案〉を発表すると,まず大阪淀川工場の労働者がストライキに突入した。次いで大阪・京都・兵庫の5工場,ならびに東京本社と熊本工場に争議は波及した。外部の労働組合の影響力も強まり,兵庫工場では,総連合(日本労働組合総連合)・組合同盟総同盟の3者が主導権をめぐって競合したほどであった。結局争議は,会社側の切崩し戦術の前に,工場ごとの分立的な闘いになり,また労働組合の相互対立で,労働者側の敗北となって終息するが,無争議・無組合という鐘紡の伝統は崩れ去った。同時期の繊維産業の争議では,このほかに,〈市街戦〉的な様相を呈した東洋モスリン亀戸工場争議や,〈煙突男〉が出現した富士瓦斯紡績川崎工場争議(ともに1930)が有名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鐘紡争議」の意味・わかりやすい解説

鐘紡争議
かねぼうそうぎ

鐘淵(かねがふち)紡績株式会社(のちカネボウ株式会社)各工場で起こった昭和恐慌期の代表的な労働争議。36工場約3万7000人の従業員を擁する鐘紡では、家族主義の名のもとに比較的安定した労使関係が維持され、労働運動の影響も及んでいなかった。しかし1930年(昭和5)4月5日、会社側が実質2割強の賃金引下げを発表したことから、従業員の間に動揺がおこり、隅田(すみだ)(東京)、京都、兵庫、淀川(よどがわ)(大阪)の各工場では大規模な争議に発展した。従業員側は、日本労働総同盟、日本労働組合総連合などの指導のもとによく闘い、世論も争議を支持したが、会社側の強硬姿勢は変わらず、6月4日までに、すべての工場の争議は敗北に終わった。

[三輪泰史]

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