鏡洲村(読み)かがみずむら

日本歴史地名大系 「鏡洲村」の解説

鏡洲村
かがみずむら

[現在地名]宮崎市鏡洲

加江田かえだ川の上流域および同川の支流鏡洲川流域に位置し、那珂郡に属する。東は加江田村、北は宮崎郡木原きわら(現清武町)飫肥おび街道が通る。建久図田帳の八条女院領国富くどみ庄の一円庄のうちに鏡淵六〇町とみえ、宮崎郡に属し、地頭は平五(実名不詳)。永和(一三七五―七九)頃の地頭は伊東祐重で、以後代々伊東氏が地頭職を勤めた(日向記)。天正一六年(一五八八)八月五日の日向国知行方目録には鏡洲六町とみえ、伊東祐兵に宛行われている。以後幕末まで伊東氏(飫肥藩)領であった。検地古今目録(日向国史)によると、慶長一〇年(一六〇五)の高三〇五石余・反別三九町五反余で、表高は幕末まで変わらなかった(寛文四年飫肥藩領郷村高辻帳、元禄国絵図など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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