鏑川(読み)カブラガワ

デジタル大辞泉 「鏑川」の意味・読み・例文・類語

かぶら‐がわ〔‐がは〕【鏑川】

群馬県西南部を流れる川。長野県との境にある荒船山に源を発する西牧さいもく川と南牧川が、甘楽かんら下仁田町で合流して鏑川となる。高崎市付近で利根川支流烏川に注ぐ。長さ60キロ。両岸河岸段丘で、上位段丘はコンニャクイモネギなどの野菜栽培・花卉かき園芸、下位段丘は水田に利用される。

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日本歴史地名大系 「鏑川」の解説

鏑川
かぶらがわ

長野県境の矢川やがわ峠付近より発して東流、甘楽かんら下仁田しもにた町・富岡市多野たの吉井よしい町・藤岡市を貫流し、高崎市阿久津あくつ町でからす川に合流する。一級河川。流路延長五三・七キロ、流域総面積六三二・四平方キロ。支流には市野萱いちのかや川・南牧なんもく川・高田たかた川・あゆ川などがある。ほぼ川沿いに信州に抜ける中山道脇往還の下仁田道が通る。中・下流域は県下でも有数の古墳密集地帯で、「上毛古墳綜覧」では三〇〇以上を数え、甘楽郡甘楽町福島の笹森稲荷ふくしまのささのもりいなり古墳、富岡田篠の天王塚たじののてんのうづか古墳、吉井町吉井の多胡薬師塚たごやくしづか古墳、藤岡市上落合の七輿山かみおちあいのななこしやま古墳、同市白石の喜蔵塚しろいしのきぞうづか古墳などが特筆される。また吉井町いけに和銅四年(七一一)多胡たご郡建郡の記念碑である多胡碑、富岡市いちみやには上野国一宮の貫前ぬきさき神社もあり、早くから文化が開けていた地域であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鏑川」の意味・わかりやすい解説

鏑川
かぶらがわ

群馬県南西部を流れる川。荒船山(あらふねやま)付近に源を発した南牧(なんもく)川と西牧(さいもく)川が下仁田(しもにた)町で合流して鏑川となり、ほぼ東流し、高崎市の南東で利根(とね)川の支流烏川(からすがわ)に合流する。延長53.7キロメートル。右岸に雄(お)川、鮎(あゆ)川、左岸に高田川などの支流がある。両岸には典型的な河岸段丘が2~3段発達し、おもに上位段丘は桑畑や野菜畑、下位段丘は水田に利用されている。灌漑(かんがい)用水路が発達し、川筋は昔の中山道脇往還(なかせんどうわきおうかん)で、現在は高崎から下仁田まで上信電鉄が通じている。河谷平野の中心は富岡(とみおか)市。

[村木定雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鏑川」の意味・わかりやすい解説

鏑川
かぶらがわ

群馬県南西部を流れる川。利根川の支流。長野県境の関東山地に源を発した西牧 (さいもく) 川と南牧 (なんもく) 川が下仁田で合流して形成。丹生丘陵,岩野谷丘陵の南を東流し,高崎市倉賀野で烏川に合流する。全長 53.7km。河岸段丘がよく発達し,広い下位段丘面は水田となり,上位段丘面は畑地となっている。谷筋を中山道の脇往還である信濃別路 (女街道) が通っていた。現在は上信電鉄,国道 254号線が通じる。

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