鎮西裁許状(読み)ちんぜいさいきょじょう

世界大百科事典(旧版)内の鎮西裁許状の言及

【裁許状】より

…本文では両者の主張の要点を引用し,終りに幕府の判決を示す。関東より発せられた関東裁許状をはじめ六波羅裁許状,鎮西裁許状とあるが,関東裁許状では〈鎌倉殿の仰(おおせ)により下知件(くだん)のごとし〉,あるいは〈将軍家の仰により下知件のごとし〉と結ぶ。また裁判の途中で和解(和与(わよ))が成立することがあるが,両者間で合意の上作成した和与状にもとづき幕府より発する和与の裁許状も同じ様式である。…

【鎮西探題】より

…探題は裁判の判決を行うと単独署判の下知状(げちじよう)を発給した。これを鎮西裁許状といい,現在200通以上が残っている。探題が未補任の間や探題退座のときには,北条氏一門,武藤・大友両氏がその職務を代行している。…

※「鎮西裁許状」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」