鎮守府(古代)(読み)ちんじゅふ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎮守府(古代)」の意味・わかりやすい解説

鎮守府(古代)
ちんじゅふ

古代奥羽における蝦夷(えぞ)経営のための軍政府。奈良時代には多賀(たが)城(宮城県多賀城市)に置かれ、802年(延暦21)の胆沢(いさわ)城築城後の平安時代には胆沢城(岩手県奥州(おうしゅう)市)に移された。初め多賀城も軍政の基地として置かれたと考えられる。「陸奥(むつ)鎮所」もその意味であろう。それが国府と区別された軍政府として整備され、鎮守府とよばれるようになったものであろう。鎮守将軍長官に、諸事国府に準じた。国府級の地方軍政府としては、鎮西府(ちんぜいふ)に改組されたときの大宰府(だざいふ)が、ほぼこれと同性格のものであった。

 鎮守府の呼称がいつからおこったかは明らかでない。724年(神亀1)には「陸奥鎮守の軍卒」のことばがあり、729年(天平1)には「鎮守将軍」の名もみえるから、このあたりをもって鎮守府の成立期と考えることができよう。鎮守府には、将軍のほかに副将軍、権(ごん)副将軍なども置かれることがあったが、これは必要に応じた措置であった。この制度のよく整ったときの常態は、将軍―軍監軍曹の構成で、759年(天平宝字3)の規定では、それらはそれぞれ国の守(かみ)―掾(じょう)―目(さかん)に準ずるものとされた。843年(承和10)府掌(ふしょう)という文官を置き、国の介(すけ)相当に扱った。鎮守府にはそのほか医師、弩師(どし)などがあった。多賀城時代には実務は国府と共通だったが、胆沢城に移ってすべて独立した政庁となった。平泉時代から名目化し、鎌倉幕府の成立とともにまったく廃した。

高橋富雄

『高橋富雄著『胆沢城』(1971・学生社)』


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