鎮台(読み)ちんだい

精選版 日本国語大辞典 「鎮台」の意味・読み・例文・類語

ちん‐だい【鎮台】

〘名〙 (「ちんたい」とも)
① 中央から離れた土地におかれて、その地方の政務、軍事などをつかさどった機関。また、そこに駐留する軍隊やその長。
浄瑠璃・新うすゆき物語(1741)上「案内につれて京都の鎮台(チンダイ)北条の成時殿台の飾を御覧とて、素袍の袂はしちかき、白書院(しろじょゐん)に出給へば」
② 明治維新当初の地方行政官庁。明治元年(一八六八大和、大阪、兵庫、江戸の順で設置され、行政、司法軍務を兼ねた機関。まもなく廃止され、行政権も兼ねた裁判所へと移行した。
※大総督府布告第四百二‐明治元年(1868)五月一九日「今般江戸鎮台差置候に付寺社町勘定三奉行被廃」
③ 明治の初め、各地に置かれた軍団。明治四年(一八七一)には、東京、大阪、鎮西(小倉)、東北(石巻)の四鎮台が、同六年には徴兵令公布にともない、全国を六軍管区として、東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に置かれた。のち同二一年、師団と改称された。
※新聞雑誌‐一号・明治四年(1871)五月「四月中東山道西海道に鎮台(チンタイ)を置くの令あり」
※霧の中(1947)〈田宮虎彦〉「土百姓の集りの鎮台に何が出来るものか」

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デジタル大辞泉 「鎮台」の意味・読み・例文・類語

ちん‐だい【鎮台】

一地方を守るために駐在する軍隊。また、その長。
明治初期の常備陸軍。明治4年(1871)東京・大阪・鎮西(小倉)・東北(石巻)の4鎮台を置き、明治6年(1873)、東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の6鎮台となった。明治21年(1888)師団と改称。
鎮台兵」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「鎮台」の意味・わかりやすい解説

鎮台 (ちんだい)

明治前半期の陸軍軍事機構の名称。1868年(明治1)5月20日,明治新政府は江戸鎮台を置き,旧幕府の奉行所を引き継ぎ大総督有栖川宮熾仁(たるひと)親王の管轄とし,軍政を布かせた。7月17日に鎮台を廃して鎮将府とし,鎮将に三条実美を任じて民政に移行させ駿河以東13国を管理させたが,10月18日鎮将府を廃して行政官に移管した。

 軍事機構としての鎮台は1871年4月23日,東山道(本営石巻),西海道(本営小倉)の両鎮台を置き,各藩兵を差し出させて兵部省の管轄としたことに始まり,8月20日に東京,大阪,鎮西(小倉),東北(仙台)の4鎮台と各鎮台管下に1ないし3の分営を置いた。徴兵令制定にともない,73年1月9日6管区鎮台表が定められ,東京,仙台,名古屋,大阪,広島,熊本の各鎮台に14営所を設け,歩兵各1連隊を各営所に置き,その平時兵力3万1680人と定められた。この年東京鎮台で初めて徴兵が行われ,翌年大阪,名古屋,75年に6鎮台全部で徴兵が行われ,西南戦争当時には鎮台兵の大部分は徴兵に入れかわっていた。1872年3月,東京鎮台条例および大阪・鎮西・東北鎮台条例が定められ,翌年7月,2条例を統合して新しい鎮台条例に改正された。条例は各鎮台を軍管とし制度未定の北海道を第7軍管とし,14営所を各師管とし,鎮台司令官陸軍卿に直隷し,管内の静謐(せいひつ)を保護し,外敵の防御に当たり,草賊に備えることを任とした。79年の条例改正で鎮台司令官は少将で有事の際は旅団長となり,鎮台が所属する監軍中将の師団長の指揮下に入ることになった。84年5月7軍管配備表が定められ(第7軍管欠),各鎮台は歩兵2旅団4連隊,騎兵・砲兵各1連隊,工兵・輜重(しちよう)兵各1大隊の編制とされ(この基本編制はそのまま師団に移行し,1936年5月まで変わらなかった),翌85年5月鎮台司令官は同時に師団長を兼ね,86年5月鎮台制は廃されて師団制に移行した。
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百科事典マイペディア 「鎮台」の意味・わかりやすい解説

鎮台【ちんだい】

明治前期の陸軍軍事機構の名称。1868年5月新政府は江戸鎮台を設置し,旧幕府の奉行所の業務を引き継ぎ軍政を布く。7月には鎮台を廃し鎮将府とし,10月には同府を廃して行政官に移管。1871年4月には軍事機構としての鎮台が東山道(本営石巻(いしのまき)),西海道(本営小倉)に置かれ,兵部省の管轄とした。7月には東京・大阪・鎮西(ちんぜい)(小倉)・東北(石巻)の4鎮台に約1万5000の将兵を配置。徴兵令の制定に伴い1873年仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本と6管区鎮台制となる。1888年廃止され師団制に移行。
→関連項目秋月の乱大村益次郎神風連の乱

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎮台」の意味・わかりやすい解説

鎮台
ちんだい

(1)明治維新当初、幕府直轄領および主要地に置かれた行政官衙(かんが)。1868年(慶応4)1月、大和(やまと)、兵庫、大坂の各鎮台が置かれたが、すぐに裁判所に改称され、同年江戸鎮台も置かれたが、これも7月に廃止されて鎮将府にかわった。(2)明治初年の陸軍の編制上の最大の単位。1871年(明治4)4月、石巻(いしのまき)に東山道(とうさんどう)鎮台、小倉(こくら)に西海道鎮台を置くことが定められたが、実際に軍隊は編制されなかった。廃藩置県後の同年8月、この二鎮台を廃して、東京、大阪、鎮西(小倉、ただし当分熊本)、東北(石巻、ただし当分仙台)の四鎮台を設け、各藩から兵を徴して常備兵を置いた。73年1月、名古屋、広島の二鎮台が加わって六鎮台となり、近衛(このえ)とともに中央政府の常備軍を構成した。徴兵令の施行によって鎮台兵はしだいに壮兵から徴兵にかわり、西南戦争などに出動した。85年5月、鎮台の下に旅団が常設され、88年5月鎮台を廃止してこれを師団に改編した。

[藤原 彰]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鎮台」の解説

鎮台
ちんだい

1871年(明治4)から88年まで,治安維持・外敵防御を任務としておかれた明治前期陸軍の司令部,最大編制単位。71年の廃藩置県で東京・大阪・鎮西(熊本)・東北(仙台)の4カ所におかれた。徴兵令公布にともない,陸軍大輔山県有朋(やまがたありとも)の建議にもとづいて73年に全国を6軍管にわけ,東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の6鎮台をおいた。鎮台は軍管の司令部を意味し,その下の総計14の営所(師管)を統轄した。営所は平時に歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重(しちょう)兵を有し,戦時には各軍管から軍(旅団規模)を,各師管から師(連隊規模)を編制することになっていた。88年5月12日,師団司令部条例によって師団編制に改組され鎮台組織は廃止された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鎮台」の解説

鎮台
ちんだい

①1868(慶応4)年,明治新政府が設けた臨時の軍政機関
②1871(明治4)年以来設けられた陸軍の軍団
旧幕領の大和・大坂・兵庫・江戸に設置。まもなく廃され,行政権も兼ねた裁判所が置かれた。
1871年,東京・大阪・鎮西(熊本)・東北(仙台)の4鎮台を設置。'73年には東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の6鎮台となり,徴兵令を発布。平時3万余の徴集兵を常備した。士族反乱の鎮圧に活躍したのをはじめとし,人民統制を進める明治政府の武力機構となった。'88年師団に改組。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鎮台」の意味・わかりやすい解説

鎮台
ちんだい

(1) 明治の臨時軍政機関,鎮台府のこと。 (2) 旧日本陸軍編制上の単位で,当該地方の警護にあたった。明治4 (1871) 年4月御親兵が設置され,6月東山 (石巻) ,西海 (小倉) の2鎮台が設けられたが,7月廃藩置県に伴い,8月これまでの鎮台を廃止し,新たに東京,大阪,鎮西 (熊本) ,東北 (仙台) の4鎮台が設けられ,1873年1月には名古屋,広島に新設された。総兵員約1万 6000。 88年師団制が採用されるに伴い師団に改編された。

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